「北の窓の書斎で」

                    ー研究と趣味と人生とー

 

                    

                               安藤勝美

                                      

                       国際基督教大学  最終講義
 
    
               

     

       

 

                               研究課題

        

                     「発展途上国と国際法

          ー発展途上国の権利主張と国際法の変容ー」

 


  

                          2002年3月8日
                                安藤 勝美
   

 

          (なおこの報告は研究の過程を述べたもので、

             講演後に加筆し、さらに目下推敲中)


    

 

        はじめに

 

   今日はお集まりいただきありがとう.最終講義をということでしたが,

   そんな大それたことではなく,皆さんとゆっくり話しをしたいと思いま

   す.講演というのは,「ことば」という楽器で即興演奏することだそう

   ですが,すこしは楽しい即興曲となりますか.面倒な話は少しにしたい

   と思います.

  

   題は「北の窓」としてますが,私は仙台で11年間,研究生活を過ごし

   ました.かって仙台にいた島崎藤村が「仙台の日の光には書斎の静かさ

   がある.私には仙台は日本の大きな北の窓のような気がする」といって

   おりました.研究には一日中,日の光が一定した,北側に窓のある書斎

   が,落ち着いて,一番よく勉強できると言うことです.私が学んだ大学

   で,大きな研究業績を残した先生の多くは,静かな北向きの部屋だった

   と思います.                         

 

   今の大学の研究室は,すこし西日が差しますがおおむね北向きです.し

   かし私の家の二階の書斎は,東,南が窓で光が一杯です.とはいえ窓越

   しに庭の木に止まっている鳥をみたり,遠くの道を行く人々が見えるな

   ど,窓越しに自然と人々の姿がみられる景観のよいところです。
 そこでは定年後はバード・ウオッチングとニンゲン・ウオッチングを楽

 しみたいと思っています.

   今日は,研究室の想い出に「北の窓」と題してこれまでの研究生活を

 お話したいと思います。
  

 「研究と趣味と人生と」という大きな副題ですが,研究と趣味があってさ

   らに人生があるということです.
   しかし人生,あっという間に70歳,「隙ゆく駒」,すなわち壁の隙間を

   馬が駆けていくように人生は早いという中国の言葉ですが,実際そんな

   感じもするものです。
 しかし若いときには,人生は無限と思え,自分が 60歳,70歳という年

   になるとは,想像することができませんでした.皆さんも,今,そう思

   うでしょうか.

 

    学生時代・・60歳ぐらいの定年近い先生方を見て,よくまあこんな年

    まで頑張っているなとか,飲み屋で年輩の親父達がワーワーやってい

    るのをみると,早く帰って孫のお守りでもしたらいいのにと思ってい

    たものです. 若いというのは,時に残酷なことを考えるものです.

    それが私自身が70歳となってみますと,まだまだ元気で働けるのに,

    もう定年かと思い,どっかで年齢の計算違いをしてるのではと思って

    いるしまつです.
 

    しかしやっぱり70歳,「思えば遠くに来たもんだ」という中原中也

    の詩を思い出します.
  とはいえ人生をそれほど悲観的に考えているわけではなく,まだ十

    分な体力と気力があり,研究はまだまだこれからだと思っています.

    なんか思い出話になりましたが,若い人のこれからの研究と生活に

    少しは参考にでもなればと思います.

 

 


           目次

 

 

  1    研究の歩み

 

(1) 研究の動機・・・・大学院での研究
(2) 研究のスタート・・研究所での課題の設定・国際法と地域研究 
(3) 研究の方法論と研究過程・・・・モロッコとフランスでの研究
                            国家の発展の権利の時代
(4) 研究分野の再構成・フランス再留学
          発展の権利の人権化.環境・人権・援助
(5) 今後の研究課題・・多文化社会と法規範・  福祉国際社会法

         
   2   研究よもやま話
 
 (1) 職業としての先生
 (2) それぞれの先達
 (3) 研究とは
 (4) 定年後の楽しみ
       ①絶学無憂
         ②読書       
         ③趣味・・俳句とカメラ


  

 

 

 

 

 

      1 研究の歩み

 

 

 (1) 研究の動機

 

     なぜ法律の研究を志したか,まずその動機を振り返ってみます.
   元々文学志望,旧制中学の四年の時に,旧制一高か二高の文科を

     志望しました.しかし学校でストライキを起こし,退学になりそ

     うになって,受験の機会はありませんでした.終戦二年目,古い

     学校のあり方を改革しようと思ったストですが,失敗しました.

     また文学部に行くならお前の書いた小説を見せろと父親にいわれ

     て,親父に見せるような小説も書いてなく,やむなく法学部へ.

     まだ法科万能の時代でした.

 

    ラードブルフ. 法学部に入る三つのタイプ.
       ① 秀才で何でもやれる,一つ法律でもやってみようか.

           ゲーテ.大佛次郎.三島由紀夫
       ②出世するために法律を選ぶ.
       ③作家になりたいが才能がない,それで法律を選ぶというディレ

          ッタント.これは別に法学部の場合に限らないと思いますが,

           私は,その最後の例でして、法学をやるにはちょっと受身な動

           機でした.

           しかしそれが一生の仕事になるとは,学生時代,思っても見ま

           せんでした.研究者になる動機なんて,以外にひょんなことか

           ら生まれると思います.ラードブルフは「職業としての学問」

           で,教授になるかどうかは,運の問題だともいってます.それ

           は教授という職のことでしょうが,研究をするということとも

           考えられます.
 

        法学部に入っても,法律はあまり好きではなかった.まだ文学者

        になりたくて,そのためフランスに行きたいという気持ちがあり

        ました.

       「フランスに行きたしと思えども,フランスはあまりにも遠し」.

        行くにはどうしたらよいか,学生時代はそんなことを考えていま

        した.   

     

        大学の4年の時,フルブライト試験の最終で,どうしてかわざと

   かアメリカの試験官が低い声でぼそぼそ話すので,もう少し大き

   な声で話して下さいと言ったらたら露骨に嫌な顔をされ,こっち

   もまあチョイむかっとしたのが運の付きとなりました。それで留

   学の動機を聞かれて,アメリカの実態をみたいとと言ったら,ア

   メリカ人の試験官が露骨に嫌な顔をしまして,目出度く落第し   し   た.  試験官に安井琢磨先生がいらっしたが、困ったような顔をしてお

   られた。その結果は見事に落第、アメリカ留学も夢と消えた。 

       その後大学院に入ったが、 当時大学院の修士の公法科.10人ぐ

   らいの先生.読まされるのはドイツ語の文献がほとんど.労働法

   はフランス語の文献.英語は小田先生(ICJ)のアメリカ最高裁の

   判例.とにかくもまれました.

       修士時代,博士時代,一日500ページ位の読書,刑法の木村亀二先

         生には原書でかと言われましたが,半分は日本語で,しかし原書が

         一番良く読めた時代でした.
       また,時にのんびりと友人と一杯,当時はロシア民謡の時代であり,

     そんなバーで歌ってました.また毎月のように内外の音楽家の演奏

         会に行きました.戦後,物のない貧しい時代でしたがそれなりによ

         き青春でした.(500円で三人でたっぷり飲めた時代)

 


(2)研究のスタート・・研究課題の設定と方法論

          その頃1950年代,60年代は,植民地の独立運動.特にアルジェ

          リアの独立運動の動きが連日の新聞に報道され,今でも当時の

          新聞のスク ラップをもっております.

 

        1954年に結成されたFLN(アルジェリア民族解放戦線)が,アルジ

        ェリアの独立のために,7年半の武力闘争.1962年7月3日に独立.

      そこで民族が独立すると言うことが身近な関心となってきた.ヨー

         ロッパ中心の世界が時代が,確実に変化しているという実感があり

         ました.
       1965年にアルジェリアの独立闘争を描いた有名な映画「アルジェ

         の戦い」が上映されました.66年のベネチア映画祭の金獅子賞を

         得た作品.

 

      その時フランス代表団がボイコット,しかし ただ一人,トリフォー

        監督だけが残っていた(「大人は分かってくれない」,「勝手にし

        やがれ」の監督)という曰く付きの映画です.
        しかし,未だ日本ではアルジェリアの独立の話は遠い所の出来事で

        した.

    

       むしろ, 学生時代に見たフランス映画で,ジャン・ギャバン主演の

     「望郷」が有名でした.エキゾチックなアルジェのカスバに,パリで

       殺人を犯して逃げてきたペペル・モコ.カスバはアラブ人の町でフラ

       ンス警察にとってはほとんど介入できない街で、警察はペペル・モコ 

      (ジャン・ギャバン)がカスバを出たら逮捕しようと待ちかまえてい

      ました.

       そのころフランスから来た観光客の中に,うら若い美人がいて,モ

       コは一目で彼女に恋し,そして懐かしいパリを思い出します.

 

      そして彼女がフランスに帰るとき,モコはとうとうカスバを出て波止

      場へ.彼女は船のともで遠いカスバの方を眺めていた.モコは鉄柵

      をつかみながら「ギャビー」と彼女の名を呼ぶが,船の汽笛にかき消

      されてしまう.
    そのときには警官が彼を取り囲んでいた.それを知ってモコは,

      フランスに去る船を見つめながらピストルで自害します.

    私はその波止場の柵に是非とも触ってみたいと思っておりました.

    地中海に面した白いカスバというノスタルジックな光景に憧れたわ

    けです.

 

      国際法と,地中海世界へのあこがれとがなんとも奇妙に結びつき,

    いずれは地中海世界へと思っていた.何とものんびりとした発想で

    した.
 

      博士課程の終わりの時,先生が紹介してくれた,東京のある大学の

    講師の口があったのですが,そのころ「アジア経済研究所」という

      政府系の発展途上国の研究所が発足し,2年もすると外国に留学さ

      せると言うことでした.なんとかは入れましたので,大学に行かず

      研究所に入りました.私は今でも,この研究所を選んでよかったと

      思っております.外国にはよく行けるし,それに研究所出身で,今

      大学の先生をしているのは,200人近くおり,それはまたいろいろ

      と頼りになります.

 

      研究所では,「発展途上国の登場とと国際法の変容」を研究課題と

      しました。殖民地を容認した国際法から,植民地の独立を容認する

      国際法への変容.それに伴う「国際法の再編成」という課題です。

      すなわち民族主義の原則に基づき独立を獲得したが,植民地主義の

      残滓として旧宗主国支配されていた地下資源の所有権の回復と実質

      的な経済的自立の確立が急務でした。

      すなわち実質的な主権平等の実現としての,既存の旧宗主

      国との法的・経済的関係の是正,さらに殖民地化を容認した国際条

      約体制の是正とそれに伴う途上国の地位の法的安定.すなわち 国家

      承認の構成要素の是正,自国資源に対する恒久主権の確立.国有化

      の補償原則の是正, 内政不干渉、さらに植民地化で設定された領土

      確定の問題など、それらの解決が急務であった。

      さらに自立を促すしかし国際協力・援助を体制化させようとした。

      しかし対外的な問題とともにより重大な国内おける人権の確保.法

      の支配の確立など、多くの問題が出現した。 

 

        しかしこれらの問題を,どのように研究するか, 既存の研究方法をフ

    オローするのでなく,自分で新しい方法論を開拓するのは難しいもの

    です。        

 

      まず植民地化の研究には,大学院の時,祖川武男先生(国際法の神様と

      小田先生がおっしゃっていた先生)に教わった,レーニンの「資本主義

      の最高段階としての帝国主義論」が大いに役にたちました.

 

      またかって読んだドイツの有名な国際法学者,カール・シュミットの言

    葉に,植民地は外国に対しては国内であり,国内においては外国である

    という優 れた分析があります.それは「内なる差別の問題」(『大地

    のノモス』)です.この本も非常に参考になりました.

      またシュミットは,国際連盟規約,22条の委任統治の問題を提示してま

    す.
    「委任統治の・・・人民の福祉及 び発達を計るは,文明の神聖なる使命

   なること」

       彼は,この文明の神聖な使命という条文が,植民地化を合法化した,と

       述べております.彼は戦後ナチスに協力したと批判されたが,その理論

     は優れたものです.

 

       植民地支配の正当性,すなわち戦後文明の神聖な使命が終わり,その正

     当性は根拠を失い,新しい時代となった.そこで国際法と発展途上国の

     研究について,どのように研究を進めるか,そこにはいかなる方法論が

     あるかが問題となった.

 

       研究所でも,資本論やマックス・ウエーバーを原書で読む研究会があり

     ました.しかし十分な解答なし.どのようにこれからの研究を進めよう

     か迷っていた.

       研究所の所長で経済学者の東畑精一先生には,まず現地をよく見ろ,

       そして考えろ,といわれました.
     またその頃,神田の如水会館で毎月研究会があり,ある時一橋大の上原

     専六先生と中央線で一緒に帰りました.先生は「国際法と地域研究     の         テーマは,すばらしい課題だとその研究を勧められました.大分,研     究の方向が定まってきました.

 

   かくして 私のテーマは,「国際法と発展途上国」という,もっとも時代

 に即した格好の研究課題となりました.そして赴任地は北アフリカとな

 りました。

  

    意外と人生では,願いごとというのはかなうものです.もっともその

  前に,2ヶ月間でアラビヤ語をマスターする義務がありました.世界の

  言語のなかでもっとも難しいと いわれる言語ですが,なんとか覚えたも

  のの,現地に着く頃には忘れてしまいました.また私が習ったのエジプ

    ト地方などのいわばアラビヤ語の標準語で、モロッコでは言葉は同じで

    も発音はかなり違いました。

    最初研究する場としてしかしアルジェリアを希望したのですが,63年

  当時まだ日本大使館がなかったので,63年秋,モロッコの大学に特別

  研究員として赴任しました. 

 

     モロッコは首都のラバトに落ち着き,64年の春に,独立間もないアル

  ジェリアへ調査に行きました.アルジェは,白いフランス風の瀟洒な

  街で.地中海側から見ると白鳥が羽を広げたように作られています.

  その山の斜面の右側に白いカスバが広がり,左側がフランス人の街で

  す。

     そのカスバををまず散策しようと思いましたが,しかし,日本人は,

  独立運動でフランス軍と一緒に戦ったヴェトナム人と間違われて危険

  なので,決してカスバに入らないようにと注意されたことを思い出し

  ました.研究所の所長だった東畑先生の忠告でした。
      それでも,カスバに入り,坂道を上るが誰もいない.みると屋上に大勢

      の人がいて,じっと私を見下ろしています.しかし私は日本人だと,

  フランス語とアラビア語で叫ぶと人々が集まり,彼らはカスバの中を案

      内してくれました.

      そしてギャバンが,逮捕を承知でカスバから走って下った例の坂道を下り      ,集まってきた大勢のアルジェリアの人達に送られて無事にホテル

      に着きました.ちょっとした楽しい冒険でした。

 
     アルジェリアやモロッコでの経験が,民族の独立と言う意義を痛切に実

       感させることとなりました.アルベール・カミューの描くアルジェリア

   とは違う世界です.彼の「異邦 人」,「ペスト」などの作品は,当時ア

   ルジェリアでは発売禁止でした.

 

     

 

(3) 研究の方法論と研究過程・・・国際法と地域研究の理論化

         どのような学問にも様々な方法論があるが,途上国と国際法

   についての新しい方法論の模索が始まる.

       方法論の研究.法実証主義.現実主義.客観主義.

       しかし途上国研究は,現実主義となる傾向がある.
         特に途上国研究は,その独立ということと,独立するその時

   代というものから離れられない.

 

                研究の方法論

  

    長らく多くの途上国の現地調査を行ってきたことは,途上国の要求する

    権利要求の具体的背景を知ために重要であった.制定された法の法解釈

    的な研究ではなく,法や権利が要求されまた実体化される途上国の要求

    の背景とそれが権利また法となる国際政治・経済の力学の実態を研究す

    ることが必要である.

 

  そのため研究の方法には,法社会学的方法も必要ですが,より法の政治

    経済的分析(political economy)が必要となります.これは途上国の法

    律研究に必要な方法論であり,国際法の場合も同様であるります.

    途上国は植民地として国際法の客体でしたが,独立することによって,

    国際法の主体となり独立国家として既存の国際法の改正を要求してきた

    わけです.

 

    別に国際法そのものを否定したわけではありません.途上国が国際社

    会で生存できるための権利要求で,いわば途上国の国家の生存権の要

 求です.

    私はこのようなテーマを選びまたその分析のために途上国の権利要求

    の政治経済的背景とそれに対応する先進国の権益維持の関係を研究す

    ることになりました.国際法の政治経済的分析という手法は完成され

     たものではありませんが,必要なものと思ってます.

 

    しかし,モロッコやアルジェリアの大学にはこのような研究のための

    本がほとんどない.そのため時々パリ大学に行き,昼は大学図書館や

    国立図書館にかよいました.夜はホテルに近いカルチェ・ラタンやシ

    ャンソ ン・バーに行きましたが、日本人として珍しがられました.

 

  ヘミングウエイは「若いときフランスに住んだものには,パリは移動

  祝祭日のように一生ついて回る」と言いましたが,パリはそれ自体の

  魅力だけでなく,モロッコとパリを経験するといことは,植民地と宗

  主国の位相差を知るという点でも勉強になりました。

 

           フランスと北アフリカでの研究課題

 

   イスラム教とキリスト教に関心.宗教と経済発展.ウエバーの研究.
   国際法の研究・発展を促す「法と経済」に関する研究 .植民地の独

     立と国際法の諸原則との関係.

 

     1960年,17の途上国が国連に加盟し,国連総会では南が優位とな
   る.かくして,1960年代,南北対立が急速に展開する.   

   1962年「天然資源に対する恒久主権」(決議1803)

     外国資本の輸入制限.国有化とその補償原則の変化.開発協力.
   途上国の恒久主権の具体化.国際協力の具体化.
   幾度かの恒久主権宣言で「国家の発展の権利」の慣習法化.
 

     1964年に帰国.植民地の独立を中心に国際法の研究.
   特に国有化と外資規制.経済自立の法的考察.

     その後,さらに途上国のナショナリズムの高揚.石油危機

      (1973年10月)欧米の石油メジャーから石油の支配権を奪う.
     植民地時代からの石油コンセッションの破棄.石油価格が次

       第に高騰.
 

 

     この第一次石油危機後,途上国はOIL POWERの力によって,

       1974年の国連総会

   

       決議・・・ 新国際経済秩序の形成.
         「新国際経済秩序宣言」1974年5月の特別総会
         「国家の経済的権利義務憲章」74年秋の通常総会.
      経済社会体制の自由選択権
        恒久主権・国有化と補償原則.外国投資と多国籍企業の規制.
        生産国同盟
        貿易・経済協力の権利
        国際商品協定
        国際経済決定過程への平等参加.

          これらの宣言や途上国の行動を通じて国際法研究の新しい課題

         (フローリー)

 

      課題

     弱者の権利の必要性                 
    「発展の権利」・・国家の権利として.
    民族の自決権.恒久主権.新国際経済秩序.
      経済体制選択の権利
      生産国連合形成の権利・・国際商品協定・・価格の維持
      国有化の権利・・補償基準の変化・・effective,prompt,
                                                       full→adequate
     外国投資の制限の権利
     強者の義務
     他国の主権尊重

     そしてNIEOの諸要求の具体的展開へ.途上国の権利主張.
      NIEOの理論的背景.従属論の時代・フランス,アルジェリア,

      中南米の研究者など.

 

      フルタード,アミン,中心と周辺国理論.
       また途上国を中心としたUNCTAD(国連貿易開発会議)によ

       る商品協定,一次産品価格の保護のための共通基金の設立.

       途上国の発展のための二重規範.

 

(4)南北問題の変化・研究分野の再構成

       さらに73年の石油危機に続いて79年の第二次石油危機が起

       こり,一バレル2ドルぐらいが38ドルに高騰.しかしこの二

       度の石油危機は,むしろ途上国間に貧富の差を招く.  

       この二度の石油価格の高騰によって,石油産油国以外の途上

       国は,石油が購入ができず.南南問題.途上国の分裂.そし

       てNIEOの意義は急速に失われる.

     またUNCTADの新しい機構も十分に機能せず,途上国の国際

       経済秩序の変革要求は,自由主義の市場原理を変革すること

       はできなかった.
       NIEOは国家の発展の権利を定めたが,しかし国際的に必ずし

       も承認されたとはいえない.                            


   さらに国内においても,
 1 土地制度の改革(宗教と結びつく土地制度あるいは共同体組織),

         所得配分,人口対策が進まず.
 2 国有化政策は,市場と資本さらに技術を持たないため十分に機能

         しないこと。

       すなわち国有化した企業の経営悪化と貿易収支の赤字,国家財政

         の破綻は,債務危機を招き,一層の貧困化と累積債務問題を発生

         し,世界銀行,国際通貨基金や先進国の介入を招くことになった.

       そのため途上国を中心とした国際経済と政治の決定過程の変革要

         求は,次第に後退する.

  3    さらに理論的には従属論の理論的欠陥すなわち従属からの移行過

         程とその方向が明確でなく、また具体的に構造的な低開発が強調

         されるが,この状況の変革を促す具体的な政策が効果的でなかっ

         た。

 

  4   また国内要因・・①テクノクラートの未発達 , ②国有化した産業

        の非効率,③経済自立化の妨げとなる汚職問題(ジャンダルム)
        ゼングハースは,NIEOの要求は新たな海の分割の合意があっただ

        けで,大半は破綻した,と批判.

        結局NIEOの要求は,国際社会に二重規範を作ろうとしたが,それ

        は効果的ではなかった。

                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

        (その結果として) 

       *1970年代後半からの石油危機の影響がNIEOの停滞を招いた.
       *途上国の団結の後退に伴い,南の開発あるいは発展の方策の変化。
       *途上国の発展理論として・・ウオーラシュテインによる従属論の

          再構成など。

     

             「世界システム論」
  

     しかし途上国のNIEO要求の陰で,
     1975年(第一次石油危機・1973年)主要先進国会議の開催.
 「先進国は基本的人間ニーズ」(BHN)戦略の展開.最低限の

     生活を築くことから再出発.

   世銀,IMF(国際通貨金)の政策.ストリーテン.ウルハクの

     理論.食糧,住居,衣類,健康,教育の充足へ.

 

    ILO報告「基本的ニーズ戦略・絶対的貧困への対策」1976年.
    途上国はあくまでもNIEOの確立を要求して反対.しかし次

    第に理解される.スリランカ・・サルボダヤ(すべてのものの

    覚醒)運動.人間の福祉に不可欠な要素.水(安心して飲める

    水),食糧(生きてゆくのに必要な最低限の食べ物),住居

   (雨露がしのげる),衣服(作業着と町に出るための服),

    医療(小さな診療所),コミュニケーション町にゆくバス),

    燃料,教育(本が読める),清潔で安全な環境,精神的・

    文化的生活.

 

    世銀の案にない文化的・宗教的要素の重視.
    基本的ニーズの要求は,国家よりも人間中心の生活,すなわち

  「生存の権利」の主張へ.さらに国際的な生存権が主張される.

 

   一方で,途上国の先進国や世銀・IMFへの借款増加→その結果,両

   者による1980年代の構造調整政策の強化により,途上国の市場開

   放.投資の制限撤廃へ進む.その結果NIEOの権利要求の後退とな

   る.そして「発展の国際法」は,個人の生存権を中心とした理論の

   再構築へと変更を促される.

 

                 70年代の研究課題②

   ナショナリズムがどのように法として結実したか.
   アラブ諸国の憲法におけるナショナリズムの法的側面
   石油・鉱物資源の国有化・石油開発協定の研究
   経済自立の法制度
   新国際経済秩序の法的問題
   多国籍企業の法規制(投資)


(4)研究分野の再構成

 

 1980年後,再びフランス留学.パリの「国際法・比較法研究センター」.
 今度は家内と子供づれ.
 新しい国際社会に対応する研究.国際法を取り巻く,あるいはその変動
 要因としての政治と経済との総合的研究.「国際的生存権」,「国際福

   祉社会」.

 

   70年代より欧米では国際社会の正義・公正とは何かが問題となる.私
 の研究課題は,個人を中心とした国際的な福祉の拡大,国際的な生存
 権の研究へ.

 

  ◎新しい理論の研究

 当時,すでに「新しい理論」の展開・ ウオーラーシュテインの近代

   世界システム(1974).   
 そしてロールズの「正義論」(1971年).自由と平等の新しい考察.

    少数者の問題.

 格差原理と公正な機会均等の原理をもって自由と平等を調和させよう

   とした.

 しかし自由と平等の優先順位について,平等な自由原理と格差原理や
 公正な機会均等原理が衝突した場合,自由原理が優先する.

   ロナルド・ドゥオーキン「権利論」(1974年).平等を究極の原理

   とする.自由は平等が達成されたとき初めて達成される.  
 R.ノージック「アナーキー,国家,ユートピア」(1977年).

   いかなる 配分の正義にも反対.

   ロバート・ギルピン・・「世界システムの政治経済学」
   S・ストレンジなどの著作.

 

 ◎さらに西欧中心の世界史の修正
  謝世輝「世界史の変革ーヨーロッパ中心史観への挑戦」1988
    松井透「世界市場の形成」1991
  ウオーラーシュテイン・・「近代世界システム」(74).
 
  資本主義の形成
  ミシェル・ボー「資本主義の世界史」1996
  そして科学の発達と社会の変化
  ユージン・B・スコルニコフ「国際政治と科学技術」1995
  これらは法を取り巻く周辺科学の研究.

  この時代は・・構造調整政策・・これはNIEOの要求を結局,

    市場メカニズムの中に解体していく.

 
  ◎また新しい国際社会の動き  
   また次第に,ボーダーレス・エコノミーの時代へ.都市化.人口移動.
   農村の生存維持経済の解体.環境破壊.人口増加.
   さらに,物(鉱物資源.一次産品.商品)から金(資本),人すなわ

     ち人権,さらに人の生み出す知識(科学技術の革新.新素材)の時代

      へ.

 

   ◎特に環境問題,人権としての発展の権利の重要性.「国際的生存権」
  国連人間環境会議「地球は一つだが世界は一つでない」1976年

 

   ◎国連の新しい動き
    発展の権利の転換・・・・個人の権利へ
  すでに1972年ストラスブールの国際人権研究所が開設。

    国際司法裁判所判事.トム・ムバイエ・

                              「人権としての発展の権利」
    また1944年ILO総会・フィラデルフィア宣言.

  1986年国連総会.「発展の権利に関する宣言」
    発展の権利は譲ることのできない個人の人権.
    国家は,その実現をはかる国内的,国際的第一義的責任.
   (両面性はある・・集団の権利として,よりよく個人の

        権利を守る.また集団の抵抗権).

      開発と環境に関する世界委員会(ブルントラント委員会)

        「地球の未来を守るために」

   (1987年.持続的開発・開発と環境の調和).
    「地球は一つだが世界は一つでない」から「地球は一つか

       ら世界は一つへ」.
      また環境か開発かという二者択一でなく,その両立を計る.

 

  ◎冷戦の崩壊と新世界秩序
    冷戦終焉宣言.・・・マルタ島.米ソ.1989年
    東西ドイツの統合・・1990年10月3日
    ソ連崩壊・・・・・・1991年12月

 

    これらの動きの中で一元的な南北問題は様々な課題に分解

    され,時代は個別的主題の国際会議へ.
 

    国連児童基金「子供のための地球サミット」1990年
    国連「国際環境開発会議」(地球サミット)1992年
    地球温暖化防止条約.生物多様性条約.アジェンダ21

 

  「世界人権会議」      1993年 ウイーン
  「国際人口・開発会議」   1994年 カイロ
  「世界社会開発会議 」     1995年 コペンハーゲン
  「国連女性会議」            1995年 北京
  「国連居住会議」            1996年 イスタンブール
  「世界食糧会議」            1996年 ローマ

 

(5) 今後の研究課題

 

   現代の研究課題 
 
 国際社会の再編成と国際法
   開発と環境と人権の関係
   国際社会における福祉としての援助の法的性質
   これらの課題は平和を別の観点から考察するもの.
 平和な国際社会のため貧困を除去し人権を尊重する

  「福祉国際社会」を作ること.

 

 南北問題は,環境,人口,社会開発,女性,児童,居住(habitat),
   食糧など個別的な問題に分解.しかし南北問題はこれらの問題に通

 底しており.これらの問題を抱合した,新しい法原則の必要.
   時代は変化しても,私の基本的課題は変わらない.
   研究者とは,「その処女作に向かって永遠に完成する」.
 
   具体的研究課題

   現在とこれからの課題.
 

  ①多文化社会と法規範(人権)
       西洋文明 イスラム インド 中国などの
      文化に多様性と法規範

  

    ②福祉国際社会
        福祉の法的性質の検討
         互恵説(E.H.カー)
           相互依存説(ブラント委員会)
            取引説(ローマクラブ)
            道義説(ベイツ)
          基本的ニーズ説(世銀)
          持続的発展説(ブルントラント)
          法的権利義務説(途上国)

 

     福祉国際社会の法的問題・福祉とは,単に貧しい国を援助

       することではなく,豊かな世界 になること.

 

   ③開発と環境
     WTO(世界貿易機関)による国際経済の発達と環境

   

     以上の研究に当たって心がけること.これからの学問は先端的

     になればなるほど,内容が総合的になること.法律だけでなく

     政治学,経済学, 社会学の総合的研究.
     今後の課題は山ほどある.

     学者は書くことによって成長する.
     また「最高傑作は次の作品」黒沢明

     研究は時代を反映する.例えば古い時代の問題や思想を研究す

     るにも,今という時代が反映 する.むしろ現代を良く知るこ

     とが過去を良く知ることになる.

 

 

2            研究よもやま話

 

 (1)職業としての先生

 

   皆さんもいずれ大学の先生になるでしょうが,注意すべきことは,長い
 間,先生なんかやっていると,人間が偏ってくることです.先日の新聞

 の読者欄に,こんな投稿がありました。投稿者が,散歩でよく学校の先

 生をっやっていた老夫婦に会うが,お早うございます,と挨拶しても,

 返事もしない,ということです.学生を指導するなどと考えていると,
   どっか傲慢で偏屈になるものです.

 

  私は25年間アジア経済研究所に勤め,その間二度の在外研究,さらに数
  多くの研究調査旅行や数度の政府ミッションで,50カ国以上の国々に行
  きました.その後明治学院大学国際学部さらに家の近くのこの国際基督

  教大学国際関係学科に勤めました.そして70歳で定年となったわけです.

  研究所と違い大学の先生とは,指導していると思っている内に,逆に教  
  わっている,ことに気づくことができました.
  研究所にせよ大学にせよ,研究することは真理を探究することだが,判
  らないことは判らないもので,常に良い解答が出るとは限らないのが研
  究だと思います..

 

   また研究とは,一つの大きな疑問を持つこと.それを解くのが楽し

   みでもある.疑問はいくらでもある.例えば,

 

   フランスのバカロレヤの試験
  「人間は死ぬことが分かっていても,なぜ生きてゆけるのか」

   なかなか解答のでない哲学的問題.

 

   またこんな問題もある.

  パリ大学の心理学の試験
    妻と母と三人で堤防の上を散歩していた時,突風が吹いて妻と母

      が海に投げ出された.そのときただ一人しか助けられないという

      とき,君はどちらを助けるか」

 

     学生の答案は二つに分かれた.

     妻とする者「母はもう十分に生きた.しかし妻は未だ若いし人生は

                        これからだ」
      母とする者「母は私を生んでくれたただ一人の人.これからの老後

                         を楽しませてあげたい.妻はまた見つければよい」

 

       ところがみんな落第.しかし,ただ一人だけ満点.
       その解答は 「そのときになってみなければ分からない」

 

      人生は必ずしも常に回答を要求しているわけではない.
      研究もしかりで,常によい結果が出るわけではない. 

 

       また,講義に関して言えば,「最良の講義とは,疑問の提示である」
       ハイゼンベルグ.
 

    しかし学生は,絶えず解答を要求する.

        そのせいか,教壇で語ることは,時に恐ろしいこと.

 

      「講壇に立ちて語れば これほどのことさえ知らず 過ごしきし身は」
                       土岐 善麿

         そんな気持ちにもなるものです.

 

(2) それぞれの先達

         私自身は良い先生ではないが,しかし良い先生には恵まれた.
         その良い先生とは,どのような状況にあっても,きちんと自己

         規律のできる人.そんな先生方との出会い.

 

       小田滋先生 恩師 ICJ裁判官
       人間関係を大事にする方.穏やかだが特攻隊の生き残り.
       着実に歩む,その姿に見習いたいと常々思ったこと.
       俺は弟子の面倒見が悪いと言われるが,と仰るが,かし,研究所

       にも心配して2,3度訪ねてくださったり,パリでもご夫婦で良

       く我が家にいらっしゃってくださった.思いやりと面倒見の良い

        先生.

 

       今西錦司先生 鮎の棲み分け理論.人類学の泰斗.二三度しかお

       会いしなかったが印象ぶかい先生.
       磊落にして緻密な先生.学会の後幾度かみんなで一緒に飲んだ

       ことがある先生.

 

       梅沢忠夫など大勢の優れたた弟子を持つ.
    「先生は,少しとろいぐらいで良い,鋭すぎると弟子がついてこ

       ない.弟子達は僕のような先生なら容易に超えられると思う,

      と集まってくる」

 

   それに弟子達と飲むのが大事だと言われた.
    「それは蜂の喧嘩だ・・・?.差しつ差されつ.」
      実に洒脱で楽しい先生でした.

      それに快活.人間,知性があり,しかも快活であるとはすばら

      しいこと.

 

      東畑精一. ウイットに富む経済学者.吉田茂のブレイン.
      研究所時代の先生..
      座談の名手.ある雑誌に,芸者が三人かかってもかなわない,と

      紹介されていた.

    名随筆「一巻の人」1960年.(岩波・非売本).先生に頂戴する.
    シュンペーターの研究家.その「経済分析の歴史」翻訳中の話.

 

  世の中はマルクス主義の時代なのに,シュンペーターの研究なん

  かで良いのかと迷った.ある時,岩波書店顧問の河野与一先生

      (東北大学から岩波に移った頃、希代の碩学.「学問の曲がり角」

   の著者)に相談.

      河野先生は黙って一冊の辞書(ギリシャ・ラテン引用語辞典・岩

  波書店)を開いて一つの項目を見せる.

   「homo unius libri・・・一巻の人.一つの書物のみに耽る人」

 

      東畑先生は,私はそんな人間かと思い,重い気持ちで家に帰る.
    そして同じ辞書をひもとくと,「cave ab homine unius libri・・」
    「一冊の書物の人に用心せよ」.だんだんと怖くなり,早くシュンペー

      ターの翻訳を終えて,一巻の人たることを終わりたいと思われた,と.

      しかし,この意味は先生の学問に対する謙虚な気持ち,と私には思え
    たが,一つの分野・課題に集中することの,大切なことを教えている,
    と思っている.

 

   都留重人先生.紳士にして鋭い弁舌の人.
      明学時代,戸塚駅で朝一緒にタクシーで,戸塚の明治学院大学の国際
  学部へ. 研究室に入られると,先生は給湯室の冷蔵庫からコップに

      氷を入れて,ニコニコしながら研究室へ.そして一杯。それも懐かし

  い思い出.

    若いときは大変な酒豪.旧制大学の先生達との決戦.それは酒一升を
    決められた時間に飲む勝負.仙台で決勝戦.一升を飲んで次の日決め
    られた時間に集まる事になっているが,相手の東北大の先生は家族に

      介抱されてぐっすり眠ってしまって欠席.それで都留先生が優勝.

    教授会・・あれほど有名教授がそろった学部も珍しい.1時10分開始,
    普通6時,時に夜10時頃まで.

 

      悠々たえる論戦,激することなく理理整然たる論の進め方.大いに

      啓発される.

      ある時,荻須高則の絵を持参され教授談話室に飾られる.私もパリ

      で偶然画伯と一晩飲み,朝方,真っ赤なスポーツカーでホテルに送

  られた思い出がある.

    これまでの人生には,楽しく有益な沢山の先生や友人との出会いが

       あり.その人達のおかげで 今の自分が居る.人には多くの出会い

       があり,色々な人から,色々なことを教わりながら生きている.

 

   さらに,考えてみると人生の先達といえる人たちは,大学だけでなく

   街にもいる.酒の飲み方が上手な人達.酒を飲まない人は,人生を半

   分しか生きてない,と言う言葉もある.杜甫の詩にも「一酌,千愁を

   散ず」とある.まさに,酒は愁いの玉箒である.

 

    中央線の品のいい酒場.元ある省の局長.全国を回って美酒と佳品・
  肴を集めた店.畳の上に和服で端然と座って,こちらは御膳に向かう.

    幾度か会っているうちに,杯の持ち方,酒の受け方など酒の飲み方を

    指導された.

 

    子供の頃父親や叔父達が和服で端然と座って酒を飲んでいた
  姿を思いだしました.亭主が教えたのは武家の飲み方なのだそうです.

    至る所に人生の先達はいる.たかが酒と言ってはいけない,酒を通し

    てその人の人格がわかるものです.

    神楽坂の酒屋.墨田区の女将さんのやっていた江戸時代からの酒屋.
  新宿の多くの作家が集まっていた飲み屋.大久保の飲み屋での井伏鱒
  二先生との出会い.人生至る所に先達はいる.良い飲み屋は人を鍛え
  る.もうそんな飲み屋もなくなってしまいました.


 (3)研究と教育と

 

     若い人への言葉「若い日にバラを摘め」.
 

    バラは美しいが棘が有る,しかし痛みを伴わなければ美しいバラは

    摘めない.ある高名な免疫学者・・研究にはバラの香りがしなけれ

    ばならない,と。

          「バラの花の香りのする研究を」 多田富雄.免疫学者
 

    また研究にも,ユーモアとゆとりがほしいが,これは難しい.
    ある数学の微分の先生,論文に「微分のことは微分でせよ」とユー

    モラスに書いたら,沢山の人から非難された.論文でふざけてはい

    けない,と.しかしそんな遊びがあっても良いと思いますがね.

 

    丸谷才一「遊びなのか学問なのか,当人もよく分からないのが,本

    当の学問」なのでしょうね。

 

    また学問と教育について,
     広中平祐・研究と教育の両立は可能かと問われて,
   「両立させなければいけません.というのは何かを学ぶのに一番良い
    方法は,それを教えることなんです」

 
   そして先生を選ぶなら,
   モンテーニュ,
  「教師を選ぶときは一杯詰まった頭よりも,しっかりした頭の人を選

     ぶように.その両方とも必要だが,どちらかというと,知識よりも

     人格と判断力のある方を選ぶこと」

 

    しかし問題は,学生は教師を選べるが,われわれ教師は必ずしも学

    生を選べないことです.

 

     またプロの先生は,一人五役
 「学者.医者.役者.易者.芸者」

     学者・・十分な専門知識を持って,学問を追究する姿勢を教える.
     医者・・分からないところを早期発見.早期治療.早期回復.
                同時に「勉強したくない病人」を治療する.
     役者・・教壇での講義を新鮮に演出し,観客という学生を引きつけ

                 て飽きさせない.
     易者・・学生達の将来性や進むべき道について適切にアドヴァイス

                  する.
     芸者・・芸者とは学生達に楽しい学生時代を過ごさせるためのエン

                  タテーナー.(昔は武芸者のことを芸者と言った)

 

        このように先生とは実に難しい職業だと思う.

 

(4)定年後の楽しみ・これからの人生・趣味

 

  ①絶学無憂
   いつの間にか研究生活40年,大学院時代を含めると約50年,研

       究所や大学に長いこと勤続し,まさに勤続疲労.ここらでちょっ

   と一休み.

     学問から離れると言うこと.老子の言葉「絶学無憂」.

       学を絶たば,憂いなからん,と言う意味.
     これには井伏 鱒二の名訳あり「大学やめたら呑気になるぞ」.
       さすが漢詩を闊達に訳した人です.呑気になりたいものです.

       良き先達を見ていると,年をとっても,その人の感性は変わ

       らない,と思う.そうなりたいもの.

   「すくすくと育った年寄りとはあまりおらんもんじゃな」

                   十時半睡.
       まさに,すくすく育った年寄りになりたいものです.

 

   ②読書

      読書の楽しみ.
      しかし世界中の小説はもう読んだ.今は自在の心をもった人物

      に興味.これは欧米の文学にはない人物像.

 

     三屋清左衛門. 「三屋清左衛門残日録」藤沢周平.
  「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」

 

     まだ,日は十分にある,人生まだまだ焦ることはない,これは

     今の私の心境でもある.

     昔,義理の兄が藤沢氏を紹介すると.しかし時代作家と思って

     いた.大変な間違いでした.この人は人間を鋭くまた暖かく見

     ている人だと思います.

     池波正太郎の 「剣客商売」の 秋山小兵衛.白石一郎の十時半

     睡など.
 

     これらの老人は闊達な人生の達人.

   昔の狂歌,「くどくなる,気短になる,愚痴になる,

                                            心はひがむ,身は古うなる」
    そんな老人にはなりたくないものです.

 

 ③趣味・・古本屋・ 俳句・カメラ

   かっての趣味・古本屋歩き.本探し. 神田,中央線沿線.
   もうあまり行かない.かねて探していた本との出会いは楽しい.
   先日,偶然,上田辰之助「蜂の寓話・自由主義経済の根底にあ

     るもの」を中央線の古本屋で発見,安く購入.かって神田で1

     万円したもの.これは,18世紀.オランダ系イギリス人の医者・

     文人であるバーナード・マンドヴィールの悪徳と公共の利得の

     ことを書いている.長らく捜していた本と出会うのは偶然の出

     会いの楽しみがある.

 

     短歌・・40年も昔,幾度か続けて朝日歌壇に入選,その後落選

                  したらと逡巡,そんならと投稿をやめる.
          短歌は気力と体力がいる.

       今の趣味はその短歌と俳句とカメラ.

 

     俳句・・なかなか傑作はできない .
    「古池や 蛙とびこむ 水の音 」 芭蕉
    未だにこれを超える俳句はないとされるが,江戸後期の傑作

  とされるのは,

     「古池や その後飛び込む 蛙なし」
       この洒落が面白い.

 

      飯田蛇忽・・俳句がうまくなる人の条件として.
                           あまり頭がよくないこと.
                           あまり健康でないこと.
                           あまり金持ちでないこと.

    この条件にぴったりだけど,私にはそこそこの俳句しか作れない.
  せめて俳句の良き鑑賞家になりたい.その解釈についての学生時

      代の誤解

 

           「月天心貧しき町を通りけり」蕪村

     この句を月が天心にかかって貧しい街にかかっていると思ったが,

     夜道を急ぐ旅人の見た月とのこと.

 

          「梅一輪一輪ほどの暖かさ」服部嵐雪
   毎日毎日一輪一輪と咲いて暖かくなると思ったが,実はたった
     一輪 咲いたその暖かさのこと.

      俳句は名解説者があってまた年をとり経験を積んで初めて分か
    る事がある.

    学問も同じですね.論文を良く理解してくれる人が必要ですし,

      また論文は時代をえぐり同時にを超えた価値を持つことが必要.

 

 カメラ
   人間をとるのは苦手.風景特に風の流れを描こうと思う.
   カメラを持って散歩・ 良く歩く人は良く読む人.歩くことによ

      って「人生の健脚家」となる.
 

   読むというのは本だけでなく,カメラで自然や人生を読む.
   そのうち俳句とカメラの本を出したい.論文はその後となりそう.

     さて,定年.心理学者が言うことですが,人には定年前症候群とい

     うのがあって,定年前はいらいらしたり,怒りっぽくなったり,集

     中力がなくなるそうですが,まさにしかり,汗顔の至り.これは注

     意すべきことだとおもいます.

 

     私は定年とは,人生のある区切りであり,また再出発であると思う.

     すなわち定年とは一つの成長だと思っている.なにせ「脱皮しない

     蛇は死ぬ」ということで,定年で人間も脱皮して成長するものと思

     っています.
     そして年をとっても夢は捨てないことが大事.

 

      戦争直後の中学二年生の時買った1899年ニューヨーク発行の

      ワーズワスの詩集の一節.

 

        my heart leaps up, when I behold the rainbow in the sky.

 

    私は人生で二度虹をつかんだ.4歳の頃八戸の公園でまた中学生の頃
    仙台で.夢のような話だが事実です.私は一生虹を追い求め,いつか

 また虹をつかむと思っている.ちょっと照れくさい話ですが.

    そして,人は時間の中を旅しているもので,私もゆったりと「時の中
    を旅したい」と思っている.

 

    また「定年には年齢はあるが,年齢には定年はない」と思ってます.
    まだまだ時の中の旅は続きます.

 

   私の書斎から,ICUキャンパスの西端に聳える大きな鈴掛の木が見えま
   す。30年前,その家に移ってきた頃は,鈴掛は今の半分ぐらいの大きさ
 で,夏にはその梢の上に多摩川の花火が見えました.しかし今は亭々と聳
 えて花火も見えなくなりました.しかし鈴掛が大きくなるにつれてICU
 も共に成長してきました.それゆえ朝夕見ている鈴掛が,幾多の風雪に耐
 えながら,さらにその梢をのばす姿を,四季折々,心楽しみに見ていきた
 いと思つております 

 

   これからせっせとICUの図書館に通おうと思ってます.なにせほかの先生
 方の図書購入費までたっぷり使って本を買いました.図書館では名前は伏

 せていましたが,あまり一人の先生が集中的に本を買わないでくださいと,

 文書を回しておりました.それは私です.そんなわけで,まだ読んでない

 本がたくさんありますので,楽しみに通います.

   

          では,またお会いしましょう.
      ご静聴を感謝します.     

 

 

 

     

 

    安藤勝美 短歌 俳句 一寸いい話

 

 

 

 

 

             国際基督教大学  最終講義
 
    
       「北の窓の書斎で」

      ー研究と趣味と人生とー

     

                   研究課題

     「途上国と国際法

   ー途上国の権利主張と国際法の変動ー」

 


        2002年3月8日
         安藤 勝美
       (なおこの報告は研究の変遷を残すために後に

          加筆訂正したものである.目下推敲中)


    

 

    はじめに

 

   今日はお集まりいただきありがとう.最終講義をということでしたが,

   そんな大それたことではなく,皆さんとゆっくり話しをしたいと思いま

   す.講演というのは,「ことば」という楽器で即興演奏することだそう

   ですが,すこしは楽しい即興曲となりますか.面倒な話は少しにしたい

   と思います.

  

   題は「北の窓」としてますが,私は仙台で11年間,研究生活を過ごし

   ました.かって仙台にいた島崎藤村が「仙台の日の光には書斎の静かさ

   がある.私には仙台は日本の大きな北の窓のような気がする」といって

   おりました.研究には一日中,日の光が一定した,北側に窓のある書斎

   が,落ち着いて,一番よく勉強できると言うことです.私が学んだ大学

   で,大きな研究業績を残した先生の多くは,静かな北向きの部屋だった

    と思います.                         

 

   今の大学の研究室は残念ながら,すこし西日が差しますがおおむね北向

 です.しかし私の家の二階の書斎は,東,南が窓で光が一杯です.とは

 いえ窓越しに庭の木に止まっている鳥をみたり,遠くの道を行く人々が

 見えるなど,窓越しに自然と人々の姿がみられる景観のよいところです。
 そこでは定年後はバード・ウオッチングとニンゲン・ウオッチングを楽

 しみたいと思っています.

   今日は,研究室の想い出に「北の窓」と題してこれまでの研究生活を

 お話したいと思います。
  

 「研究と趣味と人生と」という大きな副題ですが,研究と趣味があって人
   生があるということです.
   しかし人生,あっという間に70歳,「隙ゆく駒」,すなわち壁の隙間を

   馬が駆けていくように人生は早いという漢詩ですが,実際そんなもので

   す.
 しかし若いときには,人生は無限と思え,自分が 60歳,70歳という年

   になるとは,想像することができませんでした.皆さんも,今,そう思

   うでしょう.

 

    学生時代・・60歳ぐらいの定年近い先生方を見て,よくまあこんな年

    まで頑張っているなとか,飲み屋で年輩の親父達がワーワーやってい

    るのをみると,早く帰って孫のお守りでもしたらいいのにと思ってい

    たものです. 若いというのは,時に残酷なことを考えるものです.

    それが私自身が70歳となってみますと,まだまだ元気で働けるのに,

    もう定年かと思い,どっかで年齢の計算違いをしてるのではと思って

    いるしまつです.
 

    しかしやっぱり70歳,「思えば遠くに来たもんだ」という中原中也

    の詩を思い出します.
  しかしそれほど悲観的に考えているわけではなく,まだ十分な体力

    と気力があり,研究はこれからだと思っています.なんか思い出話

    になりそうですが,若い人の研究と生活について少しは参考にでも

  なればと思います.

 

 


           目次

 

 

  1    研究の歩み

 

(1) 研究の動機・・・・大学院での研究
(2) 研究のスタート・・研究所での課題の設定・国際法と地域研究 
(3) 研究の方法論と研究過程・・・・モロッコとフランスでの研究
                            国家の発展の権利の時代
(4) 研究分野の再構成・フランス再留学
          発展の権利の人権化.環境・人権・援助
(5) 今後の研究課題・・多文化社会と法規範・  福祉国際社会法

         
   2   研究よもやま話
 
 (1) 職業としての先生
 (2) それぞれの先達
 (3) 研究とは
 (4) 定年後の楽しみ
       ①絶学無憂
         ②読書       
         ③趣味・・俳句とカメラ


        1 研究の歩み

 

 (1) 研究の動機

 

     なぜ法律の研究を志したか,まずその動機を振り返ってみます.
   元々文学志望,旧制中学の四年の時に,旧制一高か二高の文科を

     志望しました.しかし学校でストライキを起こし,退学になりそ

     うになって,受験の機会はありませんでした.終戦二年目,古い

     学校のあり方を改革しようと思ったストですが,失敗しました.

     また文学部に行くならお前の書いた小説を見せろと父親にいわれ

     て,親父に見せるような小説も書いてなく,それではと法学部へ.

     まだ法科万能の時代でした.

 

    ラードブルフ. 法学部に入る三つのタイプ.
      ① 秀才で何でもやれる,一つ法律でもやってみようか.ゲーテ.

          大佛次郎.三島由紀夫
       ②出世するために法律を選ぶ.
       ③ 作家になりたいが才能がない,それで法律を選ぶというディレ

            ッタント.これは別に法学部の場合に限らないと思いますが,

            私は,その最後の例でして、法学をやるにはちょっと受身な動

            機でした.

            しかしそれが一生の仕事になるとは,学生時代,思っても見ま

            せんでした.研究者になる動機なんて,以外にひょんなことか

            ら生まれると思います.ラードブルフは「職業としての学問」

            で,教授になるかどうかは,運の問題だともいってます.それ

            は教授という職のことでしょうが,研究をするということとも

            考えられます.
 

        法学部に入っても,法律はあまり好きではなかった.まだ文学者

        になりたくて,そのためフランスに行きたいという気持ちがあり

        ました.

       「フランスに行きたしと思えども,フランスはあまりにも遠し」.

        行くにはどうしたらよいか,学生時代はそんなことを考えていま

        した.   

     

        大学の4年の時,フルブライト試験の最終で,受験の動機を聞か

        れて,思わずフランスに行きたいが,行く方法がないからアメリ

        カでも,と言ったら,アメリカ人の試験官が露骨に嫌な顔をして

        おりまして,目出度く落第しました.それいらい英語が嫌いにな

        ってしまいました.

   

        当時大学院の修士の公法科.10人ぐらいの先生.読まされるのはド

    イツ語の文献がほとんど.労働法がフランス語の文献.英語は小田

         先生(ICJ)のアメリカ最高裁の判例.とにかくもまれました.

       修士時代,博士時代,一日500ページ位の読書,刑法の木村亀二先

         生には原書でと言われましたが,ほとんど日本語で,しかし原書が

         一番良く読めた時代でした.
       また,時にのんびりと友人と一杯,当時はロシア民謡の時代であり,

     そんなバーで歌ってました.また毎月のように内外の音楽家の演奏

         会に行きました.戦後,物のない貧しい時代でしたがそれなりによ

         き青春でした.(500円で三人でたっぷり飲めた時代)

 


(2)研究のスタート・・研究課題の設定と方法論

         その頃1950年代,60年代は,植民地の独立運動.特にアルジェ

          リアの独立運動の動きが連日の新聞に報道され,今でも当時の

          新聞のスク ラップをもっております.

 

        1954年に結成されたFLN(アルジェリア民族解放戦線)が,アルジ

        ェリアの独立のために,7年半の武力闘争.1962年7月3日に独立.

      そこで民族が独立すると言うことが身近な関心となってきた.ヨー

         ロッパ中心の世界が時代が,確実に変化しているという実感があり

         ました.
       1965年にアルジェリアの独立闘争を描いた有名な映画「アルジェ

         の戦い」が上映されました.66年のベネチア映画祭の金獅子賞を

         得た作品.

 

      その時フランス代表団がボイコット,しかし ただ一人,トリフォー

        監督だけが残っていた(「大人は分かってくれない」,「勝手にし

        やがれ」の監督)という曰く付きの映画です.
        しかし,未だ日本ではアルジェリアの独立の話は遠い所の出来事で

        した.

    

       むしろ, 学生時代に見たフランス映画で,ジャン・ギャバン主演の

     「望郷」が有名でした.エキゾチックなアルジェのカスバに,パリで

       殺人を犯して逃げてきたペペル・モコ.カスバはアラブ人の町でフラ

       ンス警察にとってはほとんど介入できない街で,ペペル・モコ(ジャ

       ン・ギャバン)がカスバを出たら逮捕しようと待ちかまえていまし

       た.

       そのころフランスから来た観光客の中に,うら若い美人がいて,モ

       コは一目で彼女に恋し,そして懐かしいパリを思い出す.

 

      そして彼女がフランスに帰るとき,モコはとうとうカスバを出て波止

      場へ.彼女は船のともで遠いカスバの方を眺めていた.ギャバンは柵

      をつかみながら「ギャビー」と彼女の名を呼ぶが,船の汽笛にかき消

      されてしまう.
    そのときには警官が彼を取り囲んでいた.それを知ってギャバンは,

      フランスに去る船を見つめながらピストルで自害する.

    私はその波止場の柵に是非とも触ってみたいと思っておりました.

    地中海に面した白いカスバというノスタルジックな光景に憧れたわ

    けです.

 

      国際法と,地中海世界へのあこがれとがなんとも奇妙に結びつき,

    いずれは地中海世界へと思っていた.何とものんびりとした発想で

    した.
 

      博士課程の終わりの時,先生が紹介してくれた,東京のある大学の

    講師の口があったのですが,そのころ「アジア経済研究所」という

      政府系の発展途上国の研究所が発足し,2年もすると外国に留学さ

      せると言うことでした.なんとかは入れましたので,大学い行かず

      研究所

    に入りました.私は今でも,この研究所を選んでよかったと思ってお

      ります.外国にはよく行けるし,それに研究所出身で,今大学の先生

      をしているのは,200人近くおり,それはまたいろいろと頼りになり

      ます.

 

      研究所では,「植民地の独立と国際法の変容」を研究課題としました.                          

      植民地を容認した国際(國際連盟規約22条)から,植民地の独立を容

  認する国際法への変化.それに伴う「国際法の再考」。

    (この条項について,カール・シュミットは植民地化の合法化と述べ

   ている)          

 

    植民地は民族自決権基づいて独立を獲得したが,植民地主義の残滓とし

    地下資源の所有権の回復と実質的な自立の維持,すなわち実質的な主

    権平等の実現としての,既存の旧宗主国との法的・経済的関係の是正,

    さらに確立された国際条約体系の是正と途上 国の地位の法的安定.す

    なわち 国家承認の構成要素の是正,自国資源に対する恒久主権の確立.

    国有化の補償原則の是正, 内政不干渉.植民地化で設定された領土の

    問題の解決が急務であった。さらに自立を促すしかし国際協力・援助

    を体制化させようとしたしかし国内おける人権の確保.法の支配の確

    立など多くの問題が残った。 

  k 

 

       しかしこれらの問題を,どのように研究するか, 既存の研究方法をフ

    オローするのでなく,自分で新しい方法論を開拓するのは難しいもの

    です。        

 

      まず植民地化の研究には,大学院の時,祖川武男先生(国際法の神様と

      小田先生がおっしゃっていた先生)に教わった,レーニンの「資本主義

      の最高段階としての帝国主義論」が大いに役だった.

 

      またかって読んだドイツの有名な国際法学者,カール・シュミットの言

    葉に,植民地は外国に対しては国内であり,国内においては外国である

    という優 れた分析があります.それは「内なる差別の問題」(『大地

    のノモス』)です.この本も非常に参考になりました.

      またシュミットは,国際連盟規約,22条の委任統治の問題を提示してま

    す.
    「委任統治の・・・人民の福祉及 び発達を計るは,文明の神聖なる使命

   なること」

       彼は,この文明の神聖な使命という条文が,植民地化を合法化した,と

       述べております.彼は戦後ナチスに協力したと批判されたが,その理論

     は優れたものです.

 

       植民地支配の正当性,すなわち戦後文明の神聖な使命が終わり,その正

     当性は根拠を失い,新しい時代となった.そこで国際法と発展途上国の

     研究について,どのように研究を進めるか,そこにはいかなる方法論が

     あるかが問題となった.

 

       研究所でも,資本論やマックス・ウエーバーを原書で読む研究会があり

     ました.しかし十分な解答なし.どのようにこれからの研究を進めよう

     か迷っていた.

       研究所の所長で経済学者の東畑精一先生には,まず現地を見ろ,そして

     考えろ,といわれました.
     またその頃,神田の如水会館で毎月研究会があり,ある時一橋大の上原

     専六先生と中央線でご一緒になりました.先生は「国際法と地域研究」

   のテーマはすばらしい課題だと勧められました.大分,研究の方向が             

     定まってきました.

 

   かくして 私のテーマは,「国際法と発展途上国」という,もっともその時

 代に即した格好の研究課題となりました.そして赴任地は北アフリカとな

 りました。

  

    以外と人生では,願いごとというのはかなうものです.もっともその

  前に,2ヶ月間でアラビヤ語をマスターする義務がありました.世界の

  言語のなかでもっとも難しいと いわれる言語ですが,なんとか覚えたも

  のの,現地に着く頃には忘れてしまいました.研究も

    最初研究する場としてしかしアルジェリアを希望したのですが,63年

  当時まだ日本大使館がなかったので,63年秋,モロッコの大学に特別

  研究員として赴任しました. 

 

     モロッコは首都のラバトに落ち着き,64年の春に,独立間もないアル

  ジェリアへ調査に行きました.アルジェは,白いフランス風の瀟洒な

  街で.地中海側から見ると白鳥が羽を広げたように作られています.

  その山の斜面の右側に白いカスバが広がり,左側がフランスじんの街

  です。

     アルジェの街をまず散策しようと思いましたが,しかし,日本人は,

  独立運動でフランス軍と一緒に戦ったヴェトナム人と間違われて危険

  なので,決してカスバに入らないようにと注意されたことを思い出し

  ました.
     それでもカスバに入り,坂道を上る.誰もいない.みると屋上に大勢

      の人がいて,じっと私を見下ろしています.しかし私は日本人だと,

  フランス語とアラビア語で叫ぶと人々が集まり,カスバの中を案内し

  てくれました.そして大勢のアルジェリアの人達に送られて無事にホ

  テルに着きました.

  

   次の日,ギャバンが,逮捕を承知でカスバから走って下った坂道を

  下ってみました。それはかって見たジャン・ギャバンが「望郷」と

  いう映画の中でパリから来た美しい女性を追って駆け下った坂道を

  自分でも下ってみました。戦後見た映画の印象的な場面を思い出し

  たのです。

  

  アルジェリアやモロッコでの経験が,民族の独立と言う意義を痛切に実

       感させることとなりました.アルベール・カミューの描くアルジェリア

   とは違う世界です.彼の「異邦 人」,「ペスト」などの作品は,当時ア

   ルジェリアでは発売禁止でしたが.

 

     

 

(3) 研究の方法論と研究過程・・・国際法と地域研究の理論化

         どのような学問にも様々な方法論があるが,途上国と国際法

   についての新しい方法論の模索が始まる.

       方法論の研究.法実証主義.現実主義.客観主義.

       しかし途上国研究は,現実主義となる傾向がある.
         特に途上国研究は,その独立ということと,独立するその時

   代というものから離れられない.

 

  研究の方法論

  

    長らく多くの途上国の現地調査を行ってきたことは,途上国の要求する

    権利要求の具体的背景を知ために重要であった.制定された法の法解釈

    的な研究ではなく,法や権利が要求されまた実体化される途上国の要求

    の背景とそれが権利また法となる国際政治・経済の力学の実態を研究す

    ることが必要である.

 

  そのため研究の方法には,法社会学的方法も必要ですが,より法の政治

    経済的分析(political economy)が必要となります.これは途上国の法

    律研究に必要な方法論であり,国際法の場合も同様であるります.

    途上国は植民地として国際法の客体でしたが,独立することによって,

    国際法の主体となり独立国家として既存の国際法の改正を要求してきた

    わけです.

 

    別に国際法そのものを否定したわけではありません.途上国が国際社

    会で生存できるための権利要求で,いわば途上国の生存権の要求です.

    私はこのようなテーマを選びまたその分析のために途上国の権利要求

    の政治経済的背景とそれに対応する先進国の権益維持の関係を研究す

    ることになりました.国際法の政治経済的分析という手法は完成され

     たものではありませんが,必要なものと思ってます.

 

    しかし,モロッコやアルジェリアの大学にはこのような研究のための

    本がほとんどない.そのため時々パリ大学に行き,昼は大学図書館や

    国立図書館にかよいました.夜はホテルに近いカルチェ・ラタンやシ

    ャンソ ン・バー.日本人として珍しがられる.

 

  ヘミングウエイは「若いときフランスに住んだものには,パリは移動

  祝祭日のように一生ついて回る」と言いましたが,パリはそれ自体の

  魅力だけでなく,モロッコとパリを経験するといことは,植民地と宗

  主国の位相差を知るという点でも勉強になりました。

 

     フランスと北アフリカでの研究課題

 

   イスラム教とキリスト教に関心.宗教と経済発展.ウエバーの研究.
   国際法の研究・発展を促す「法と経済」に関する研究 .植民地の独

     立と国際法の諸原則との関係.

 

     1960年,17の途上国が国連に加盟し,国連総会では南が優位とな
   る.かくして,1960年代,南北対立が急速に展開する.   

   1962年「天然資源に対する恒久主権」(決議1803)

     外国資本の輸入制限.国有化とその補償原則の変化.開発協力.
   途上国の恒久主権の具体化.国際協力の具体化.
   幾度かの恒久主権宣言で「国家の発展の権利」の慣習法化.
 

     1964年に帰国.植民地の独立を中心に国際法の研究.
   特に国有化と外資規制.経済自立の法的考察.

     その後,さらに途上国のナショナリズムの高揚.石油危機

      (1973年10月)欧米の石油メジャーから石油の支配権を奪う.
     植民地時代からの石油コンセッションの破棄.石油価格が次

       第に高騰.
 

 

     この第一次石油危機後,途上国はOIL POWERの力によって,

       1974年の国連総会

   

       決議・・・ 新国際経済秩序の形成.
         「新国際経済秩序宣言」1974年5月の特別総会
         「国家の経済的権利義務憲章」74年秋の通常総会.
      経済社会体制の自由選択権
        恒久主権・国有化と補償原則.外国投資と多国籍企業の規制.
        生産国同盟
        貿易・経済協力の権利
        国際商品協定
        国際経済決定過程への平等参加.

          これらの宣言や途上国の行動を通じて国際法研究の新しい課題

         (フローリー)

 

      課題

     弱者の権利の必要性                 
    「発展の権利」・・国家の権利として.
    民族の自決権.恒久主権.新国際経済秩序.
      経済体制選択の権利
      生産国連合形成の権利・・国際商品協定・・価格の維持
      国有化の権利・・補償基準の変化・・effective,prompt,
                                                       full→adequate
     外国投資の制限の権利
     強者の義務
     他国の主権尊重

     そしてNIEOの諸要求の具体的展開へ.途上国の権利主張.
      NIEOの理論的背景.従属論の時代・フランス,アルジェリア,

      中南米の研究者など.

 

      フルタード,アミン,中心と周辺国理論.
       また途上国を中心としたUNCTAD(国連貿易開発会議)によ

       る商品協定,一次産品価格の保護のための共通基金の設立.

       途上国の発展のための二重規範.

 

(4)南北問題の変化・研究分野の再構成

       さらに73年の石油危機に続いて79年の第二次石油危機が起

       こり,一バレル2ドルぐらいが38ドルに高騰.しかしこの二

       度の石油危機は,むしろ途上国間に貧富の差を招く.  

       この二度の石油価格の高騰によって,石油産油国以外の途上

       国は,石油が購入ができず.南南問題.途上国の分裂.そし

       てNIEOの意義は急速に失われる.

     またUNCTADの新しい機構も十分に機能せず,途上国の国際

       経済秩序の変革要求は,自由主義の市場原理を変革すること

       はできなかった.
       NIEOは国家の発展の権利を定めたが,しかし国際的に必ずし

       も承認されたとはいえない.                            


   さらに国内においても,
 1 土地制度の改革(宗教と結びつく土地制度あるいは共同体組織),

          所得配分,人口対策が進まず.
 2 国有化政策は,市場と資本さらに技術を持たないため十分に機能

          せず,

 

 3 国有化した企業の経営悪化と貿易収支の赤字,国家財政の破綻は,
   債務危機を招き,一層の貧困化と累積債務問題を発生し,世界銀
   行,国際通貨基金や先進国の介入を招くことになった.

       その後,南北対立は急速に沈静化する
       途上国を中心とした国際経済と政治の決定過程の変革要求は,大

         幅に後退する.

 

    従属論の理論的欠陥・従属からの移行過程とその方向が明確でない.
    さらに構造的な低開発を強調するが,このシステムの変動要因が不

    明確.

 

     また国内要因・・①テクノクラートの未発達 , ②国有化した産業

     の非効率,③経済自立化の妨げとなる汚職問題(ジャンダルム)
     ゼングハースは,NIEOの要求は新たな海の分割の合意があっただ

     けで,大半は破綻した,と批判.

     結局NIEOの要求は,国際社会に二重規範を作ろうとしたが,それ

     が十分に容認されなかった.

 

     1970年代後半からの石油危機の影響がNIEOの停滞へ.
     途上国の団結の後退に伴い,南の開発あるいは発展の方策の変更
     途上国の発展理論として・・ウオーラシュテインによる従属論の

     再構成・

 

 「世界システム論」.
 

    しかし途上国のNIEO要求の陰で,
     1975年(第一次石油危機・1973年)主要先進国会議の開催.
 「先進国は基本的人間ニーズ」(BHN)戦略の展開.最低限の

     生活を築くことから再出発.

   世銀,IMF(国際通貨金)の政策.ストリーテン.ウルハクの

     理論.食糧,住居,衣類,健康,教育の充足へ.

 

    ILO報告「基本的ニーズ戦略・絶対的貧困への対策」1976年.
    途上国はあくまでもNIEOの確立を要求して反対.しかし次

    第に理解される.スリランカ・・サルボダヤ(すべてのものの

    覚醒)運動.人間の福祉に不可欠な要素.水(安心して飲める

    水),食糧(生きてゆくのに必要な最低限の食べ物),住居

   (雨露がしのげる),衣服(作業着と町に出るための服),

    医療(小さな診療所),コミュニケーション町にゆくバス),

    燃料,教育(本が読める),清潔で安全な環境,精神的・

    文化的生活.

 

    世銀の案にない文化的・宗教的要素の重視.
    基本的ニーズの要求は,国家よりも人間中心の生活,すなわち

  「生存の権利」の主張へ.さらに国際的な生存権が主張される.

 

   一方で,途上国の先進国や世銀・IMFへの借款増加→その結果,両

   者による1980年代の構造調整政策の強化により,途上国の市場開

   放.投資の制限撤廃へ進む.その結果NIEOの権利要求の後退とな

   る.そして「発展の国際法」は,個人の生存権を中心とした理論の

   再構築へと変更を促される.

 

  70年代の研究課題②

   ナショナリズムがどのように法として結実したか.
   アラブ諸国の憲法におけるナショナリズムの法的側面
   石油・鉱物資源の国有化・石油開発協定の研究
   経済自立の法制度
   新国際経済秩序の法的問題
   多国籍企業の法規制(投資)


(4)研究分野の再構成

 

 1980年後,再びフランス留学.パリの「国際法・比較法研究センター」.
 今度は家内と子供づれ.
 新しい国際社会に対応する研究.国際法を取り巻く,あるいはその変動
 要因としての政治と経済との総合的研究.「国際的生存権」,「国際福

   祉社会」.

 

   70年代より欧米では国際社会の正義・公正とは何かが問題となる.私
 の研究課題は,個人を中心とした国際的な福祉の拡大,国際的な生存
 権の研究へ.

 

  ◎新しい理論の研究

 当時,すでに「新しい理論」の展開・ ウオーラーシュテインの近代

   世界システム(1974).   
 そしてロールズの「正義論」(1971年).自由と平等の新しい考察.

    少数者の問題.

 格差原理と公正な機会均等の原理をもって自由と平等を調和させよう

   とした.

 しかし自由と平等の優先順位について,平等な自由原理と格差原理や
 公正な機会均等原理が衝突した場合,自由原理が優先する.

   ロナルド・ドゥオーキン「権利論」(1974年).平等を究極の原理

   とする.自由は平等が達成されたとき初めて達成される.  
 R.ノージック「アナーキー,国家,ユートピア」(1977年).

   いかなる 配分の正義にも反対.

   ロバート・ギルピン・・「世界システムの政治経済学」
   S・ストレンジなどの著作.

 

 ◎さらに西欧中心の世界史の修正
  謝世輝「世界史の変革ーヨーロッパ中心史観への挑戦」1988
    松井透「世界市場の形成」1991
  ウオーラーシュテイン・・「近代世界システム」(74).
 
  資本主義の形成
  ミシェル・ボー「資本主義の世界史」1996
  そして科学の発達と社会の変化
  ユージン・B・スコルニコフ「国際政治と科学技術」1995
  これらは法を取り巻く周辺科学の研究.

  この時代は・・構造調整政策・・これはNIEOの要求を結局,

    市場メカニズムの中に解体していく.

 
  ◎また新しい国際社会の動き  
   また次第に,ボーダーレス・エコノミーの時代へ.都市化.人口移動.
   農村の生存維持経済の解体.環境破壊.人口増加.
   さらに,物(鉱物資源.一次産品.商品)から金(資本),人すなわ

     ち人権,さらに人の生み出す知識(科学技術の革新.新素材)の時代

      へ.

 

   ◎特に環境問題,人権としての発展の権利の重要性.「国際的生存権」
  国連人間環境会議「地球は一つだが世界は一つでない」1976年

 

   ◎国連の新しい動き
    発展の権利の転換・・・・個人の権利へ
  すでに1972年ストラスブールの国際人権研究所が開設。

    国際司法裁判所判事.トム・ムバイエ・

                              「人権としての発展の権利」
    また1944年ILO総会・フィラデルフィア宣言.

  1986年国連総会.「発展の権利に関する宣言」
    発展の権利は譲ることのできない個人の人権.
    国家は,その実現をはかる国内的,国際的第一義的責任.
   (両面性はある・・集団の権利として,よりよく個人の

        権利を守る.また集団の抵抗権).

      開発と環境に関する世界委員会(ブルントラント委員会)

        「地球の未来を守るために」

   (1987年.持続的開発・開発と環境の調和).
    「地球は一つだが世界は一つでない」から「地球は一つか

       ら世界は一つへ」.
      また環境か開発かという二者択一でなく,その両立を計る.

 

  ◎冷戦の崩壊と新世界秩序
    冷戦終焉宣言.・・・マルタ島.米ソ.1989年
    東西ドイツの統合・・1990年10月3日
    ソ連崩壊・・・・・・1991年12月

 

    これらの動きの中で一元的な南北問題は様々な課題に分解

    され,時代は個別的主題の国際会議へ.
 

    国連児童基金「子供のための地球サミット」1990年
    国連「国際環境開発会議」(地球サミット)1992年
    地球温暖化防止条約.生物多様性条約.アジェンダ21

 

  「世界人権会議」      1993年 ウイーン
  「国際人口・開発会議」   1994年 カイロ
  「世界社会開発会議 」     1995年 コペンハーゲン
  「国連女性会議」            1995年 北京
  「国連居住会議」            1996年 イスタンブール
  「世界食糧会議」            1996年 ローマ

 

(5) 今後の研究課題

 

   現代の研究課題 
 
 国際社会の再編成と国際法
   開発と環境と人権の関係
   国際社会における福祉としての援助の法的性質
   これらの課題は平和を別の観点から考察するもの.
 平和な国際社会のため貧困を除去し人権を尊重する

  「福祉国際社会」を作ること.

 

 南北問題は,環境,人口,社会開発,女性,児童,居住(habitat),
   食糧など個別的な問題に分解.しかし南北問題はこれらの問題に通

 底しており.これらの問題を抱合した,新しい法原則の必要.
   時代は変化しても,私の基本的課題は変わらない.
   研究者とは,「その処女作に向かって永遠に完成する」.
 
   具体的研究課題

   現在とこれからの課題.
 

  ①多文化社会と法規範(人権)
       西洋文明 イスラム インド 中国などの
      文化に多様性と法規範

  

    ②福祉国際社会
        福祉の法的性質の検討
         互恵説(E.H.カー)
           相互依存説(ブラント委員会)
            取引説(ローマクラブ)
            道義説(ベイツ)
          基本的ニーズ説(世銀)
          持続的発展説(ブルントラント)
          法的権利義務説(途上国)

 

     福祉国際社会の法的問題・福祉とは,単に貧しい国を援助

       することではなく,豊かな世界 になること.

 

   ③開発と環境
     WTO(世界貿易機関)による国際経済の発達と環境

   

     以上の研究に当たって心がけること.これからの学問は先端的

     になればなるほど,内容が総合的になること.法律だけでなく

     政治学,経済学, 社会学の総合的研究.
     今後の課題は山ほどある.

     学者は書くことによって成長する.
     また「最高傑作は次の作品」黒沢明

     研究は時代を反映する.例えば古い時代の問題や思想を研究す

     るにも,今という時代が反映 する.むしろ現代を良く知るこ

     とが過去を良く知ることになる.

 

 

2 研究よもやま話

 

 (1)職業としての先生

 

   皆さんもいずれ大学の先生になるでしょうが,注意すべきことは,長い
 間,先生なんかやっていると,人間が偏ってくることです.先日の新聞

 の読者欄に,こんな投稿がありました。投稿者が,散歩でよく学校の先

 生をっやっていた老夫婦に会うが,お早うございます,と挨拶しても,

 返事もしない,ということです.学生を指導するなどと考えていると,
   どっか傲慢で偏屈になるものです.

 

  私は25年間アジア経済研究所に勤め,その間二度の在外研究,さらに数
  多くの研究調査旅行や数度の政府ミッションで,50カ国以上の国々に行
  きました.その後明治学院大学国際学部さらに家の近くのこの国際基督

  教大学国際関係学科に勤めました.そして70歳で定年となったわけです.

  研究所と違い大学の先生とは,指導していると思っている内に,逆に教  
  わっている,ことに気づくことができました.
  研究所にせよ大学にせよ,研究することは真理を探究することだが,判
  らないことは判らないもので,常に良い解答が出るとは限らないのが研
  究だと思います..

 

   また研究とは,一つの大きな疑問を持つこと.それを解くのが楽し

   みでもある.疑問はいくらでもある.例えば,

 

   フランスのバカロレヤの試験
  「人間は死ぬことが分かっていても,なぜ生きてゆけるのか」

   なかなか解答のでない哲学的問題.

 

   またこんな問題もある.

  パリ大学の心理学の試験
   「妻と母と三人で堤防の上を散歩していた時,突風が吹いて妻と母

      が海に投げ出された.そのときただ一人しか助けられないという

      とき,君はどちらを助けるか」

 

     学生の答案は二つに分かれた.

     妻とする者「母はもう十分に生きた.しかし妻は未だ若いし人生は

                        これからだ」
      母とする者「母は私を生んでくれたただ一人の人.これからの老後

                         を楽しませてあげたい.妻はまた見つければよい」

 

       ところがみんな落第.しかし,ただ一人だけ満点.
       その解答は 「そのときになってみなければ分からない」

 

      人生は必ずしも常に回答を要求しているわけではない.
      研究もしかりで,常によい結果が出るわけではない. 

 

       また,講義に関して言えば,「最良の講義とは,疑問の提示である」
       ハイゼンベルグ.
 

    しかし学生は,絶えず解答を要求する.

        そのせいか,教壇で語ることは,時に恐ろしいこと.

 

      「講壇に立ちて語れば これほどのことさえ知らず 過ごしきし身は」
                       土岐 善麿

         そんな気持ちにもなるものです.

 

(2) それぞれの先達

         私自身は良い先生ではないが,しかし良い先生には恵まれた.
         その良い先生とは,どのような状況にあっても,きちんと自己

         規律のできる人.そんな先生方との出会い.

 

       小田滋先生 恩師 ICJ裁判官
       人間関係を大事にする方.穏やかだが特攻隊の生き残り.
       着実に歩む,その姿に見習いたいと常々思ったこと.
       俺は弟子の面倒見が悪いと言われるが,と仰るが,かし,研究所

       にも心配して2,3度訪ねてくださったり,パリでもご夫婦で良

       く我が家にいらっしゃってくださった.思いやりと面倒見の良い

        先生.

 

       今西錦司先生 鮎の棲み分け理論.人類学の泰斗.二三度しかお

       会いしなかったが印象ぶかい先生.
       磊落にして緻密な先生.学会の後幾度かみんなで一緒に飲んだ

       ことがある先生.

 

       梅沢忠夫など大勢の優れたた弟子を持つ.
    「先生は,少しとろいぐらいで良い,鋭すぎると弟子がついてこ

       ない.弟子達は僕のような先生なら容易に超えられると思う,

      と集まってくる」

 

   それに弟子達と飲むのが大事だと言われた.
    「それは蜂の喧嘩だ・・・?.差しつ差されつ.」
      実に洒脱で楽しい先生でした.

      それに快活.人間,知性があり,しかも快活であるとはすばら

      しいこと.

 

      東畑精一. ウイットに富む経済学者.吉田茂のブレイン.
      研究所時代の先生..
      座談の名手.ある雑誌に,芸者が三人かかってもかなわない,と

      紹介されていた.

    名随筆「一巻の人」1960年.(岩波・非売本).先生に頂戴する.
    シュンペーターの研究家.その「経済分析の歴史」翻訳中の話.

 

  世の中はマルクス主義の時代なのに,シュンペーターの研究なん

  かで良いのかと迷った.ある時,岩波書店顧問の河野与一先生

      (東北大学から岩波に移った頃、希代の碩学.「学問の曲がり角」

   の著者)に相談.

      河野先生は黙って一冊の辞書(ギリシャ・ラテン引用語辞典・岩

  波書店)を開いて一つの項目を見せる.

   「homo unius libri・・・一巻の人.一つの書物のみに耽る人」

 

      東畑先生は,私はそんな人間かと思い,重い気持ちで家に帰る.
    そして同じ辞書をひもとくと,「cave ab homine unius libri・・」
    「一冊の書物の人に用心せよ」.だんだんと怖くなり,早くシュンペー

      ターの翻訳を終えて,一巻の人たることを終わりたいと思われた,と.

      しかし,この意味は先生の学問に対する謙虚な気持ち,と私には思え
    たが,一つの分野・課題に集中することの,大切なことを教えている,
    と思っている.

 

   都留重人先生.紳士にして鋭い弁舌の人.
      明学時代,戸塚駅で朝一緒にタクシーで,戸塚の明治学院大学の国際
  学部へ. 研究室に入られると,先生は給湯室の冷蔵庫からコップに

      氷を入れて,ニコニコしながら研究室へ.そして一杯。その姿も懐か

  しい思い出.

    若いときは大変な酒豪.旧制大学の先生達との決戦.それは酒一升を
    決められた時間に飲む勝負.仙台で決勝戦.一升を飲んで次の日決め
    られた時間に集まる事になっているが,相手は家族に介抱されてぐっ
    すり眠って欠席.それで先生が優勝.

    教授会・・あれほど有名教授がそろった学部も珍しい.1時10分開始,
    普通6時,時に夜10時頃まで.

 

      悠々たえる論戦,激することなく理理整然たる論の進め方.大いに

      啓発される.

      ある時,荻須高則の絵を持参され教授談話室に飾られる.私もパリ

      で偶然画伯と一晩飲み,朝方,真っ赤なスポーツカーでホテルに送

  られた思い出がある.

    これまでの人生には,楽しく有益な沢山の先生や友人との出会いが

       あり.その人達のおかげで 今の自分が居る.人には多くの出会い

       があり,色々な人から,色々なことを教わりながら生きている.

 

   さらに,考えてみると人生の先達といえる人たちは,大学だけでなく

   街にもいる.酒の飲み方が上手な人達.酒を飲まない人は,人生を半

   分しか生きてない,と言う言葉もある.杜甫の詩にも「一酌,千愁を

   散ず」とある.まさに,酒は愁いの玉箒である.

 

    中央線の品のいい酒場.元ある省の局長.全国を回って美酒と佳品・
  肴を集めた店.畳の上に和服で端然と座って,こちらは御膳に向かう.

    幾度か会っているうちに,杯の持ち方,酒の受け方など酒の飲み方を

    指導された.

 

    子供の頃、父親や叔父達が和服で端然と座って酒を飲んでいたその
  姿を思いだす.酒場の亭主が教えたのは武家の飲み方なのだそうです.

    至る所に人生の先達はいる.たかが酒と言えない,酒を通して飲み手

 の人格がわかるものです.

    神楽坂の酒屋.墨田区の女将さんのやっていた江戸時代からの酒屋.
  新宿の多くの作家が集まっていた飲み屋.大久保の飲み屋での井伏鱒
  二先生との出会い.人生至る所に先達はいる.良い飲み屋は人を鍛え
  る.もうそんな飲み屋もなくなってしまった.


 (3)研究と教育と

 

     若い人への言葉「若い日にバラを摘め」.
 

    バラは美しいが棘が有る,しかし痛みを伴わなければ美しいバラは

    摘めない.ある高名な免疫学者・・研究にはバラの香りがしなけれ

    ばならない,と。

          「バラの花の香りのする研究を」 多田富雄.免疫学者
 

    また研究にも,ユーモアとゆとりがほしいが,これは難しい.
    ある数学の微分の先生,論文に「微分のことは微分でせよ」とユー

    モラスに書いたら,沢山の人から非難された.論文でふざけてはい

    けない,と.しかしそんな遊びがあっても良いと思いますがね.

 

    丸谷才一「遊びなのか学問なのか,当人もよく分からないのが,本

    当の学問」なのでしょうね。

 

    また学問と教育について,
     広中平祐・研究と教育の両立は可能かと問われて,
   「両立させなければいけません.というのは何かを学ぶのに一番良い
    方法は,それを教えることなんです」

 
   そして先生を選ぶなら,
   モンテーニュ,
  「教師を選ぶときは一杯詰まった頭よりも,しっかりした頭の人を選

     ぶように.その両方とも必要だが,どちらかというと,知識よりも

     人格と判断力のある方を選ぶこと」

 

    しかし問題は,学生は教師を選べるが,われわれ教師は必ずしも学

    生を選べない,ことです.

 

     またプロの先生は,一人五役
 「学者.医者.役者.易者.芸者」

     学者・・十分な専門知識を持って,学問を追究する姿勢を教える.
     医者・・分からないところを早期発見.早期治療.早期回復.
                同時に「勉強したくない病人」を治療する.
     役者・・教壇での講義を新鮮に演出し,観客という学生を引きつけ

                 て飽きさせない.
     易者・・学生達の将来性や進むべき道について適切にアドヴァイス

                  する.
     芸者・・芸者とは学生達に楽しい学生時代を過ごさせるためのエン

                  タテーナー.(昔は武芸者のことを芸者と言った)

 

        このように先生とは実に難しい職業だと思う.

 

(4)定年後の楽しみ・これからの人生・趣味

 

  ①絶学無憂
   いつの間にか研究生活40年,大学院時代を含めると約50年,研

       究所や大学に長いこと勤続し,まさに勤続疲労.ここらでちょっ

   と一休み.

     学問から離れると言うこと.老子の言葉「絶学無憂」.

       学を絶たば,憂いなからん,と言う意味.
     これには井伏 鱒二の名訳あり「大学やめたら呑気になるぞ」.
       さすが漢詩を闊達に訳した人です.呑気になりたいものです.

       良き先達を見ていると,年をとっても,その人の感性は変わ

       らない,と思う.そうなりたいもの.

   「すくすくと育った年寄りとはあまりおらんもんじゃな」

                   十時半睡.
       まさに,すくすく育った年寄りになりたいものです.

 

   ②読書

      読書の楽しみ.
      しかし世界中の小説はもう読んだ.今は自在の心をもった人物

      に興味.これは欧米の文学にはない人物像.

 

     三屋清左衛門. 「三屋清左衛門残日録」藤沢周平.
  「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」

 

     まだ,日は十分にある,人生まだまだ焦ることはない,これは

     今の私の心境でもある.

     昔,義理の兄が藤沢氏を紹介すると.しかし時代作家と思って

     いた.大変な間違いでした.この人は人間を鋭くまた暖かく見

     ている人だと思います.

     池波正太郎の 「剣客商売」の 秋山小兵衛.白石一郎の十時半

     睡など.
 

     これらの老人は闊達な人生の達人.

   昔の狂歌,「くどくなる,気短になる,愚痴になる,

                                            心はひがむ,身は古うなる」
    そんな老人にはなりたくないものです.

 

 ③趣味・・古本屋・ 俳句・カメラ

   かっての趣味・古本屋歩き.本探し. 神田,中央線沿線.
   もうあまり行かない.かねて探していた本との出会いは楽しい.
   先日,偶然,上田辰之助「蜂の寓話・自由主義経済の根底にあ

     るもの」を中央線の古本屋で発見,安く購入.かって神田で1

     万円したもの.これは,18世紀.オランダ系イギリス人の医者・

     文人であるバーナード・マンドヴィールの悪徳と公共の利得の

     ことを書いている.長らく捜していた本と出会うのは偶然の出

     会いの楽しみがある.

 

     短歌・・40年も昔,幾度か続けて朝日歌壇に入選,その後落選

                  したらと逡巡,そんならと投稿をやめる.
          短歌は気力と体力がいる.

       今の趣味はその短歌と俳句とカメラ.

 

     俳句・・なかなか傑作はできない .
    「古池や 蛙とびこむ 水の音 」 芭蕉
    未だにこれを超える俳句はないとされるが,江戸後期の傑作

  とされるのは,

     「古池や その後飛び込む 蛙なし」
       この洒落が面白い.

 

      飯田蛇忽・・俳句がうまくなる人の条件として.
                       あまり頭がよくないこと.
                       あまり健康でないこと.
                       あまり金持ちでないこと.

    この条件にぴったりだけど,私にはそこそこの俳句しか作れない.
  せめて俳句の良き鑑賞家になりたい.その解釈についての学生時

      代の誤解

 

  「月天心貧しき町を通りけり」蕪村

     この句を月が天心にかかって貧しい街にかかっていると思ったが,

     夜道を急ぐ旅人の見た月のこと.

 

 「梅一輪一輪ほどの暖かさ」服部嵐雪
   毎日毎日一輪一輪と咲いて暖かくなると思ったが,実はたった
     一輪 咲いたその暖かさのこと.

      俳句は名解説者があってまた年をとり経験を積んで初めて分か
    る事がある.

    学問も同じですね.論文を良く理解してくれる人が必要ですし,

      また論文は時代をえぐり同時にを超えた価値を持つことが必要.

 

 カメラ
   人間をとるのは苦手.風景特に風の流れを描こうと思う.
   カメラを持って散歩・ 良く歩く人は良く読む人.歩くことによ

      って「人の健脚家」となる.
 

   読むというのは本だけでなく,カメラで自然や人生を読む.
   そのうち俳句とカメラの本を出したい.論文はその後となりそう.

     さて,定年.心理学者が言うことですが,人には定年前症候群とい

     うのがあって,定年前はいらいらしたり,怒りっぽくなったり,集

     中力がなくなるそうですが,まさにしかり,汗顔の至り.これは注

     意すべきことだとおもいます.

 

     私は定年とは,人生のある区切りであり,また再出発であると思う.

     すなわち定年とは一つの成長だと思っている.なにせ「脱皮しない

     蛇は死ぬ」ということで,定年で人間も脱皮して成長するものと思

     っています.
     そして年をとっても夢は捨てないことが大事.

 

      戦争直後の中学二年生の時買った1899年ニューヨーク発行の

      ワーズワスの詩集の一節.

 

    my heart leaps up, when I behold the rainbow in the sky.

 

    私は人生で二度虹をつかんだ.4歳の頃八戸の公園でまた中学生の頃
    仙台で.夢のような話だが事実です.私は一生虹を追い求め,またい
    つか虹をつかむと思っている.ちょっと照れくさい話ですが.

    そして,人は時間の中を旅しているもので,私もゆったりと「時の中
     を旅したい」と思っている.

 

    また「定年には年齢はあるが,年齢には定年はない」と思ってます.
    まだまだ時の中の旅は続きます.

 

   私の書斎から,ICUキャンパスの西端に聳える大きな鈴掛の木が見えま
   す。30年前,その家に移ってきた頃は,鈴掛は今の半分ぐらいの大きさ
 で,夏にはその梢の上に多摩川の花火が見えました.しかし今は亭々と聳
 えて花火も見えなくなりました.しかし鈴掛が大きくなるにつれてICU
 も共に成長してきました.それゆえ朝夕見ている鈴掛が,幾多の風雪に耐
 えながら,さらにその梢をのばす姿を,四季折々,心楽しみに見ていきた
 いと思つております 

 

   これからせっせとICUの図書館に通おうと思ってます.なにせほかの先生
 方の図書購入費までたっぷり使って本を買いました.図書館では名前は伏

 せていましたが,あまり一人の先生が集中的に本を買わないでくださいと,

 文書を回しておりました.それは私です.そんなわけで,まだ読んでない

 本がたくさんありますので,楽しみに通います.

   

          では,またお会いしましょう.
      ご静聴を感謝します.     

 

 

 

     

 

    安藤勝美 短歌 俳句 一寸いい話

 

 

 

 

 

             国際基督教大学  最終講義
 
    
       「北の窓の書斎で」

      ー研究と趣味と人生とー

     

                   研究課題

     「途上国と国際法

   ー途上国の権利主張と国際法の変動ー」

 


        2002年3月8日
         安藤 勝美
       (なおこの報告は研究の変遷を残すために後に

          加筆訂正したものである.目下推敲中)


    

 

    はじめに

 

   今日はお集まりいただきありがとう.最終講義をということでしたが,

   そんな大それたことではなく,皆さんとゆっくり話しをしたいと思いま

   す.講演というのは,「ことば」という楽器で即興演奏することだそう

   ですが,すこしは楽しい即興曲となりますか.面倒な話は少しにしたい

   と思います.

  

   題は「北の窓」としてますが,私は仙台で11年間,研究生活を過ごし

   ました.かって仙台にいた島崎藤村が「仙台の日の光には書斎の静かさ

   がある.私には仙台は日本の大きな北の窓のような気がする」といって

   おりました.研究には一日中,日の光が一定した,北側に窓のある書斎

   が,落ち着いて,一番よく勉強できると言うことです.私が学んだ大学

   で,大きな研究業績を残した先生の多くは,静かな北向きの部屋だった

    と思います.                         

 

   今の大学の研究室は残念ながら,すこし西日が差しますがおおむね北向

 です.しかし私の家の二階の書斎は,東,南が窓で光が一杯です.とは

 いえ窓越しに庭の木に止まっている鳥をみたり,遠くの道を行く人々が

 見えるなど,窓越しに自然と人々の姿がみられる景観のよいところです。
 そこでは定年後はバード・ウオッチングとニンゲン・ウオッチングを楽

 しみたいと思っています.

   今日は,研究室の想い出に「北の窓」と題してこれまでの研究生活を

 お話したいと思います。
  

 「研究と趣味と人生と」という大きな副題ですが,研究と趣味があって人
   生があるということです.
   しかし人生,あっという間に70歳,「隙ゆく駒」,すなわち壁の隙間を

   馬が駆けていくように人生は早いという漢詩ですが,実際そんなもので

   す.
 しかし若いときには,人生は無限と思え,自分が 60歳,70歳という年

   になるとは,想像することができませんでした.皆さんも,今,そう思

   うでしょう.

 

    学生時代・・60歳ぐらいの定年近い先生方を見て,よくまあこんな年

    まで頑張っているなとか,飲み屋で年輩の親父達がワーワーやってい

    るのをみると,早く帰って孫のお守りでもしたらいいのにと思ってい

    たものです. 若いというのは,時に残酷なことを考えるものです.

    それが私自身が70歳となってみますと,まだまだ元気で働けるのに,

    もう定年かと思い,どっかで年齢の計算違いをしてるのではと思って

    いるしまつです.
 

    しかしやっぱり70歳,「思えば遠くに来たもんだ」という中原中也

    の詩を思い出します.
  しかしそれほど悲観的に考えているわけではなく,まだ十分な体力

    と気力があり,研究はこれからだと思っています.なんか思い出話

    になりそうですが,若い人の研究と生活について少しは参考にでも

  なればと思います.

 

 


           目次

 

 

  1    研究の歩み

 

(1) 研究の動機・・・・大学院での研究
(2) 研究のスタート・・研究所での課題の設定・国際法と地域研究 
(3) 研究の方法論と研究過程・・・・モロッコとフランスでの研究
                            国家の発展の権利の時代
(4) 研究分野の再構成・フランス再留学
          発展の権利の人権化.環境・人権・援助
(5) 今後の研究課題・・多文化社会と法規範・  福祉国際社会法

         
   2   研究よもやま話
 
 (1) 職業としての先生
 (2) それぞれの先達
 (3) 研究とは
 (4) 定年後の楽しみ
       ①絶学無憂
         ②読書       
         ③趣味・・俳句とカメラ


        1 研究の歩み

 

 (1) 研究の動機

 

     なぜ法律の研究を志したか,まずその動機を振り返ってみます.
   元々文学志望,旧制中学の四年の時に,旧制一高か二高の文科を

     志望しました.しかし学校でストライキを起こし,退学になりそ

     うになって,受験の機会はありませんでした.終戦二年目,古い

     学校のあり方を改革しようと思ったストですが,失敗しました.

     また文学部に行くならお前の書いた小説を見せろと父親にいわれ

     て,親父に見せるような小説も書いてなく,やむなく法学部へ.

     まだ法科万能の時代でした.

 

    ラードブルフ. 法学部に入る三つのタイプ.
      ① 秀才で何でもやれる,一つ法律でもやってみようか.ゲーテ.

          大佛次郎.三島由紀夫
       ②出世するために法律を選ぶ.
       ③ 作家になりたいが才能がない,それで法律を選ぶというディレ

            ッタント.これは別に法学部の場合に限らないと思いますが,

            私は,その最後の例でして、法学をやるにはちょっと受身な動

            機でした.

            しかしそれが一生の仕事になるとは,学生時代,思っても見ま

            せんでした.研究者になる動機なんて,以外にひょんなことか

            ら生まれると思います.ラードブルフは「職業としての学問」

            で,教授になるかどうかは,運の問題だともいってます.それ

            は教授という職のことでしょうが,研究をするということとも

            考えられます.
 

        法学部に入っても,法律はあまり好きではなかった.まだ文学者

        になりたくて,そのためフランスに行きたいという気持ちがあり

        ました.

       「フランスに行きたしと思えども,フランスはあまりにも遠し」.

        行くにはどうしたらよいか,学生時代はそんなことを考えていま

        した.   

     

        大学の4年の時,フルブライト試験の最終で,受験の動機を聞か

        れて,思わずフランスに行きたいが,行く方法がないからアメリ

        カでも,と言ったら,アメリカ人の試験官が露骨に嫌な顔をして

        おりまして,目出度く落第しました.それいらい英語が嫌いにな

        ってしまいました.

   

        当時大学院の修士の公法科.10人ぐらいの先生.読まされるのはド

    イツ語の文献がほとんど.労働法がフランス語の文献.英語は小田

         先生(ICJ)のアメリカ最高裁の判例.とにかくもまれました.

       修士時代,博士時代,一日500ページ位の読書,刑法の木村亀二先

         生には原書でと言われましたが,ほとんど日本語で,しかし原書が

         一番良く読めた時代でした.
       また,時にのんびりと友人と一杯,当時はロシア民謡の時代であり,

     そんなバーで歌ってました.また毎月のように内外の音楽家の演奏

         会に行きました.戦後,物のない貧しい時代でしたがそれなりによ

         き青春でした.(500円で三人でたっぷり飲めた時代)

 


(2)研究のスタート・・研究課題の設定と方法論

         その頃1950年代,60年代は,植民地の独立運動.特にアルジェ

          リアの独立運動の動きが連日の新聞に報道され,今でも当時の

          新聞のスク ラップをもっております.

 

        1954年に結成されたFLN(アルジェリア民族解放戦線)が,アルジ

        ェリアの独立のために,7年半の武力闘争.1962年7月3日に独立.

      そこで民族が独立すると言うことが身近な関心となってきた.ヨー

         ロッパ中心の世界が時代が,確実に変化しているという実感があり

         ました.
       1965年にアルジェリアの独立闘争を描いた有名な映画「アルジェ

         の戦い」が上映されました.66年のベネチア映画祭の金獅子賞を

         得た作品.

 

      その時フランス代表団がボイコット,しかし ただ一人,トリフォー

        監督だけが残っていた(「大人は分かってくれない」,「勝手にし

        やがれ」の監督)という曰く付きの映画です.
        しかし,未だ日本ではアルジェリアの独立の話は遠い所の出来事で

        した.

    

       むしろ, 学生時代に見たフランス映画で,ジャン・ギャバン主演の

     「望郷」が有名でした.エキゾチックなアルジェのカスバに,パリで

       殺人を犯して逃げてきたペペル・モコ.カスバはアラブ人の町でフラ

       ンス警察にとってはほとんど介入できない街で,ペペル・モコ(ジャ

       ン・ギャバン)がカスバを出たら逮捕しようと待ちかまえていまし

       た.

       そのころフランスから来た観光客の中に,うら若い美人がいて,モ

       コは一目で彼女に恋し,そして懐かしいパリを思い出す.

 

      そして彼女がフランスに帰るとき,モコはとうとうカスバを出て波止

      場へ.彼女は船のともで遠いカスバの方を眺めていた.ギャバンは柵

      をつかみながら「ギャビー」と彼女の名を呼ぶが,船の汽笛にかき消

      されてしまう.
    そのときには警官が彼を取り囲んでいた.それを知ってギャバンは,

      フランスに去る船を見つめながらピストルで自害する.

    私はその波止場の柵に是非とも触ってみたいと思っておりました.

    地中海に面した白いカスバというノスタルジックな光景に憧れたわ

    けです.

 

      国際法と,地中海世界へのあこがれとがなんとも奇妙に結びつき,

    いずれは地中海世界へと思っていた.何とものんびりとした発想で

    した.
 

      博士課程の終わりの時,先生が紹介してくれた,東京のある大学の

    講師の口があったのですが,そのころ「アジア経済研究所」という

      政府系の発展途上国の研究所が発足し,2年もすると外国に留学さ

      せると言うことでした.なんとかは入れましたので,大学い行かず

      研究所

    に入りました.私は今でも,この研究所を選んでよかったと思ってお

      ります.外国にはよく行けるし,それに研究所出身で,今大学の先生

      をしているのは,200人近くおり,それはまたいろいろと頼りになり

      ます.

 

      研究所では,「途上国と国際法」を研究課題としました.                          

      植民地を容認した国際法から,植民地の独立を容認する国際法への変

      化.それに伴う「国際法の再考」。

      すなわち民族主義に促され独立を獲得したが,植民地主義の残滓とし

    地下資源の所有権の回復と実質的な自立の維持,すなわち実質的な主

    権平等の実現としての,既存の旧宗主国との法的・経済的関係の是正,

    さらに確立された国際条約体系の是正と途上 国の地位の法的安定.す

    なわち 国家承認の構成要素の是正,自国資源に対する恒久主権の確立.

    国有化の補償原則の是正, 内政不干渉.植民地化で設定された領土の

    問題の解決が急務であった。さらに自立を促すしかし国際協力・援助

    を体制化させようとしたしかし国内おける人権の確保.法の支配の確

    立など多くの問題が残った。 

 

 

       しかしこれらの問題を,どのように研究するか, 既存の研究方法をフ

    オローするのでなく,自分で新しい方法論を開拓するのは難しいもの

    です。        

 

      まず植民地化の研究には,大学院の時,祖川武男先生(国際法の神様と

      小田先生がおっしゃっていた先生)に教わった,レーニンの「資本主義

      の最高段階としての帝国主義論」が大いに役だった.

 

      またかって読んだドイツの有名な国際法学者,カール・シュミットの言

    葉に,植民地は外国に対しては国内であり,国内においては外国である

    という優 れた分析があります.それは「内なる差別の問題」(『大地

    のノモス』)です.この本も非常に参考になりました.

      またシュミットは,国際連盟規約,22条の委任統治の問題を提示してま

    す.
    「委任統治の・・・人民の福祉及 び発達を計るは,文明の神聖なる使命

   なること」

       彼は,この文明の神聖な使命という条文が,植民地化を合法化した,と

       述べております.彼は戦後ナチスに協力したと批判されたが,その理論

     は優れたものです.

 

       植民地支配の正当性,すなわち戦後文明の神聖な使命が終わり,その正

     当性は根拠を失い,新しい時代となった.そこで国際法と発展途上国の

     研究について,どのように研究を進めるか,そこにはいかなる方法論が

     あるかが問題となった.

 

       研究所でも,資本論やマックス・ウエーバーを原書で読む研究会があり

     ました.しかし十分な解答なし.どのようにこれからの研究を進めよう

     か迷っていた.

       研究所の所長で経済学者の東畑精一先生には,まず現地を見ろ,そして

     考えろ,といわれました.
     またその頃,神田の如水会館で毎月研究会があり,ある時一橋大の上原

     専六先生と中央線で帰りました.先生は「国際法と地域研究」のテーマ

     は,すばらしい課題だと勧められました.大分,研究の方向が定まって

     きました.

 

   かくして 私のテーマは,「国際法と発展途上国」という,もっとも時代

 に即した格好の研究課題となりました.そして赴任地は北アフリカとな

 りました。

  

    以外と人生では,願いごとというのはかなうものです.もっともその

  前に,2ヶ月間でアラビヤ語をマスターする義務がありました.世界の

  言語のなかでもっとも難しいと いわれる言語ですが,なんとか覚えたも

  のの,現地に着く頃には忘れてしまいました.研究も

    最初研究する場としてしかしアルジェリアを希望したのですが,63年

  当時まだ日本大使館がなかったので,63年秋,モロッコの大学に特別

  研究員として赴任しました. 

 

     モロッコは首都のラバトに落ち着き,64年の春に,独立間もないアル

  ジェリアへ調査に行きました.アルジェは,白いフランス風の瀟洒な

  街で.地中海側から見ると白鳥が羽を広げたように作られています.

  その山の斜面の右側に白いカスバが広がり,左側がフランスじんの街

  です。

     アルジェの街をまず散策しようと思いましたが,しかし,日本人は,

  独立運動でフランス軍と一緒に戦ったヴェトナム人と間違われて危険

  なので,決してカスバに入らないようにと注意されたことを思い出し

  ました.
     それでも,カスバに入り,坂道を上る.誰もいない.みると屋上に大勢

      の人がいて,じっと私を見下ろしています.しかし私は日本人だと,

  フランス語とアラビア語で叫ぶと人々が集まり,カスバの中を案内して

  くれました.

      そしてギャバンが,逮捕を承知でカスバから走って下った坂道を下り,

      大勢のアルジェリアの人達に送られて無事にホテルに着きました.ペ

  ペ ル・モコとは大分状況が違いました.

 
     アルジェリアやモロッコでの経験が,民族の独立と言う意義を痛切に実

       感させることとなりました.アルベール・カミューの描くアルジェリア

   とは違う世界です.彼の「異邦 人」,「ペスト」などの作品は,当時ア

   ルジェリアでは発売禁止でした.

 

     

 

(3) 研究の方法論と研究過程・・・国際法と地域研究の理論化

         どのような学問にも様々な方法論があるが,途上国と国際法

   についての新しい方法論の模索が始まる.

       方法論の研究.法実証主義.現実主義.客観主義.

       しかし途上国研究は,現実主義となる傾向がある.
         特に途上国研究は,その独立ということと,独立するその時

   代というものから離れられない.

 

  研究の方法論

  

    長らく多くの途上国の現地調査を行ってきたことは,途上国の要求する

    権利要求の具体的背景を知ために重要であった.制定された法の法解釈

    的な研究ではなく,法や権利が要求されまた実体化される途上国の要求

    の背景とそれが権利また法となる国際政治・経済の力学の実態を研究す

    ることが必要である.

 

  そのため研究の方法には,法社会学的方法も必要ですが,より法の政治

    経済的分析(political economy)が必要となります.これは途上国の法

    律研究に必要な方法論であり,国際法の場合も同様であるります.

    途上国は植民地として国際法の客体でしたが,独立することによって,

    国際法の主体となり独立国家として既存の国際法の改正を要求してきた

    わけです.

 

    別に国際法そのものを否定したわけではありません.途上国が国際社

    会で生存できるための権利要求で,いわば途上国の生存権の要求です.

    私はこのようなテーマを選びまたその分析のために途上国の権利要求

    の政治経済的背景とそれに対応する先進国の権益維持の関係を研究す

    ることになりました.国際法の政治経済的分析という手法は完成され

     たものではありませんが,必要なものと思ってます.

 

    しかし,モロッコやアルジェリアの大学にはこのような研究のための

    本がほとんどない.そのため時々パリ大学に行き,昼は大学図書館や

    国立図書館にかよいました.夜はホテルに近いカルチェ・ラタンやシ

    ャンソ ン・バー.日本人として珍しがられる.

 

  ヘミングウエイは「若いときフランスに住んだものには,パリは移動

  祝祭日のように一生ついて回る」と言いましたが,パリはそれ自体の

  魅力だけでなく,モロッコとパリを経験するといことは,植民地と宗

  主国の位相差を知るという点でも勉強になりました。

 

     フランスと北アフリカでの研究課題

 

   イスラム教とキリスト教に関心.宗教と経済発展.ウエバーの研究.
   国際法の研究・発展を促す「法と経済」に関する研究 .植民地の独

     立と国際法の諸原則との関係.

 

     1960年,17の途上国が国連に加盟し,国連総会では南が優位とな
   る.かくして,1960年代,南北対立が急速に展開する.   

   1962年「天然資源に対する恒久主権」(決議1803)

     外国資本の輸入制限.国有化とその補償原則の変化.開発協力.
   途上国の恒久主権の具体化.国際協力の具体化.
   幾度かの恒久主権宣言で「国家の発展の権利」の慣習法化.
 

     1964年に帰国.植民地の独立を中心に国際法の研究.
   特に国有化と外資規制.経済自立の法的考察.

     その後,さらに途上国のナショナリズムの高揚.石油危機

      (1973年10月)欧米の石油メジャーから石油の支配権を奪う.
     植民地時代からの石油コンセッションの破棄.石油価格が次

       第に高騰.
 

 

     この第一次石油危機後,途上国はOIL POWERの力によって,

       1974年の国連総会

   

       決議・・・ 新国際経済秩序の形成.
         「新国際経済秩序宣言」1974年5月の特別総会
         「国家の経済的権利義務憲章」74年秋の通常総会.
      経済社会体制の自由選択権
        恒久主権・国有化と補償原則.外国投資と多国籍企業の規制.
        生産国同盟
        貿易・経済協力の権利
        国際商品協定
        国際経済決定過程への平等参加.

          これらの宣言や途上国の行動を通じて国際法研究の新しい課題

         (フローリー)

 

      課題

     弱者の権利の必要性                 
    「発展の権利」・・国家の権利として.
    民族の自決権.恒久主権.新国際経済秩序.
      経済体制選択の権利
      生産国連合形成の権利・・国際商品協定・・価格の維持
      国有化の権利・・補償基準の変化・・effective,prompt,
                                                       full→adequate
     外国投資の制限の権利
     強者の義務
     他国の主権尊重

     そしてNIEOの諸要求の具体的展開へ.途上国の権利主張.
      NIEOの理論的背景.従属論の時代・フランス,アルジェリア,

      中南米の研究者など.

 

      フルタード,アミン,中心と周辺国理論.
       また途上国を中心としたUNCTAD(国連貿易開発会議)によ

       る商品協定,一次産品価格の保護のための共通基金の設立.

       途上国の発展のための二重規範.

 

(4)南北問題の変化・研究分野の再構成

       さらに73年の石油危機に続いて79年の第二次石油危機が起

       こり,一バレル2ドルぐらいが38ドルに高騰.しかしこの二

       度の石油危機は,むしろ途上国間に貧富の差を招く.  

       この二度の石油価格の高騰によって,石油産油国以外の途上

       国は,石油が購入ができず.南南問題.途上国の分裂.そし

       てNIEOの意義は急速に失われる.

     またUNCTADの新しい機構も十分に機能せず,途上国の国際

       経済秩序の変革要求は,自由主義の市場原理を変革すること

       はできなかった.
       NIEOは国家の発展の権利を定めたが,しかし国際的に必ずし

       も承認されたとはいえない.                            


   さらに国内においても,
 1 土地制度の改革(宗教と結びつく土地制度あるいは共同体組織),

          所得配分,人口対策が進まず.
 2 国有化政策は,市場と資本さらに技術を持たないため十分に機能

          せず,

 

 3 国有化した企業の経営悪化と貿易収支の赤字,国家財政の破綻は,
   債務危機を招き,一層の貧困化と累積債務問題を発生し,世界銀
   行,国際通貨基金や先進国の介入を招くことになった.

       その後,南北対立は急速に沈静化する
       途上国を中心とした国際経済と政治の決定過程の変革要求は,大

         幅に後退する.

 

    従属論の理論的欠陥・従属からの移行過程とその方向が明確でない.
    さらに構造的な低開発を強調するが,このシステムの変動要因が不

    明確.

 

     また国内要因・・①テクノクラートの未発達 , ②国有化した産業

     の非効率,③経済自立化の妨げとなる汚職問題(ジャンダルム)
     ゼングハースは,NIEOの要求は新たな海の分割の合意があっただ

     けで,大半は破綻した,と批判.

     結局NIEOの要求は,国際社会に二重規範を作ろうとしたが,それ

     が十分に容認されなかった.

 

     1970年代後半からの石油危機の影響がNIEOの停滞へ.
     途上国の団結の後退に伴い,南の開発あるいは発展の方策の変更
     途上国の発展理論として・・ウオーラシュテインによる従属論の

     再構成・

 

 「世界システム論」.
 

    しかし途上国のNIEO要求の陰で,
     1975年(第一次石油危機・1973年)主要先進国会議の開催.
 「先進国は基本的人間ニーズ」(BHN)戦略の展開.最低限の

     生活を築くことから再出発.

   世銀,IMF(国際通貨金)の政策.ストリーテン.ウルハクの

     理論.食糧,住居,衣類,健康,教育の充足へ.

 

    ILO報告「基本的ニーズ戦略・絶対的貧困への対策」1976年.
    途上国はあくまでもNIEOの確立を要求して反対.しかし次

    第に理解される.スリランカ・・サルボダヤ(すべてのものの

    覚醒)運動.人間の福祉に不可欠な要素.水(安心して飲める

    水),食糧(生きてゆくのに必要な最低限の食べ物),住居

   (雨露がしのげる),衣服(作業着と町に出るための服),

    医療(小さな診療所),コミュニケーション町にゆくバス),

    燃料,教育(本が読める),清潔で安全な環境,精神的・

    文化的生活.

 

    世銀の案にない文化的・宗教的要素の重視.
    基本的ニーズの要求は,国家よりも人間中心の生活,すなわち

  「生存の権利」の主張へ.さらに国際的な生存権が主張される.

 

   一方で,途上国の先進国や世銀・IMFへの借款増加→その結果,両

   者による1980年代の構造調整政策の強化により,途上国の市場開

   放.投資の制限撤廃へ進む.その結果NIEOの権利要求の後退とな

   る.そして「発展の国際法」は,個人の生存権を中心とした理論の

   再構築へと変更を促される.

 

  70年代の研究課題②

   ナショナリズムがどのように法として結実したか.
   アラブ諸国の憲法におけるナショナリズムの法的側面
   石油・鉱物資源の国有化・石油開発協定の研究
   経済自立の法制度
   新国際経済秩序の法的問題
   多国籍企業の法規制(投資)


(4)研究分野の再構成

 

 1980年後,再びフランス留学.パリの「国際法・比較法研究センター」.
 今度は家内と子供づれ.
 新しい国際社会に対応する研究.国際法を取り巻く,あるいはその変動
 要因としての政治と経済との総合的研究.「国際的生存権」,「国際福

   祉社会」.

 

   70年代より欧米では国際社会の正義・公正とは何かが問題となる.私
 の研究課題は,個人を中心とした国際的な福祉の拡大,国際的な生存
 権の研究へ.

 

  ◎新しい理論の研究

 当時,すでに「新しい理論」の展開・ ウオーラーシュテインの近代

   世界システム(1974).   
 そしてロールズの「正義論」(1971年).自由と平等の新しい考察.

    少数者の問題.

 格差原理と公正な機会均等の原理をもって自由と平等を調和させよう

   とした.

 しかし自由と平等の優先順位について,平等な自由原理と格差原理や
 公正な機会均等原理が衝突した場合,自由原理が優先する.

   ロナルド・ドゥオーキン「権利論」(1974年).平等を究極の原理

   とする.自由は平等が達成されたとき初めて達成される.  
 R.ノージック「アナーキー,国家,ユートピア」(1977年).

   いかなる 配分の正義にも反対.

   ロバート・ギルピン・・「世界システムの政治経済学」
   S・ストレンジなどの著作.

 

 ◎さらに西欧中心の世界史の修正
  謝世輝「世界史の変革ーヨーロッパ中心史観への挑戦」1988
    松井透「世界市場の形成」1991
  ウオーラーシュテイン・・「近代世界システム」(74).
 
  資本主義の形成
  ミシェル・ボー「資本主義の世界史」1996
  そして科学の発達と社会の変化
  ユージン・B・スコルニコフ「国際政治と科学技術」1995
  これらは法を取り巻く周辺科学の研究.

  この時代は・・構造調整政策・・これはNIEOの要求を結局,

    市場メカニズムの中に解体していく.

 
  ◎また新しい国際社会の動き  
   また次第に,ボーダーレス・エコノミーの時代へ.都市化.人口移動.
   農村の生存維持経済の解体.環境破壊.人口増加.
   さらに,物(鉱物資源.一次産品.商品)から金(資本),人すなわ

     ち人権,さらに人の生み出す知識(科学技術の革新.新素材)の時代

      へ.

 

   ◎特に環境問題,人権としての発展の権利の重要性.「国際的生存権」
  国連人間環境会議「地球は一つだが世界は一つでない」1976年

 

   ◎国連の新しい動き
    発展の権利の転換・・・・個人の権利へ
  すでに1972年ストラスブールの国際人権研究所が開設。

    国際司法裁判所判事.トム・ムバイエ・

                              「人権としての発展の権利」
    また1944年ILO総会・フィラデルフィア宣言.

  1986年国連総会.「発展の権利に関する宣言」
    発展の権利は譲ることのできない個人の人権.
    国家は,その実現をはかる国内的,国際的第一義的責任.
   (両面性はある・・集団の権利として,よりよく個人の

        権利を守る.また集団の抵抗権).

      開発と環境に関する世界委員会(ブルントラント委員会)

        「地球の未来を守るために」

   (1987年.持続的開発・開発と環境の調和).
    「地球は一つだが世界は一つでない」から「地球は一つか

       ら世界は一つへ」.
      また環境か開発かという二者択一でなく,その両立を計る.

 

  ◎冷戦の崩壊と新世界秩序
    冷戦終焉宣言.・・・マルタ島.米ソ.1989年
    東西ドイツの統合・・1990年10月3日
    ソ連崩壊・・・・・・1991年12月

 

    これらの動きの中で一元的な南北問題は様々な課題に分解

    され,時代は個別的主題の国際会議へ.
 

    国連児童基金「子供のための地球サミット」1990年
    国連「国際環境開発会議」(地球サミット)1992年
    地球温暖化防止条約.生物多様性条約.アジェンダ21

 

  「世界人権会議」      1993年 ウイーン
  「国際人口・開発会議」   1994年 カイロ
  「世界社会開発会議 」     1995年 コペンハーゲン
  「国連女性会議」            1995年 北京
  「国連居住会議」            1996年 イスタンブール
  「世界食糧会議」            1996年 ローマ

 

(5) 今後の研究課題

 

   現代の研究課題 
 
 国際社会の再編成と国際法
   開発と環境と人権の関係
   国際社会における福祉としての援助の法的性質
   これらの課題は平和を別の観点から考察するもの.
 平和な国際社会のため貧困を除去し人権を尊重する

  「福祉国際社会」を作ること.

 

 南北問題は,環境,人口,社会開発,女性,児童,居住(habitat),
   食糧など個別的な問題に分解.しかし南北問題はこれらの問題に通

 底しており.これらの問題を抱合した,新しい法原則の必要.
   時代は変化しても,私の基本的課題は変わらない.
   研究者とは,「その処女作に向かって永遠に完成する」.
 
   具体的研究課題

   現在とこれからの課題.
 

  ①多文化社会と法規範(人権)
       西洋文明 イスラム インド 中国などの
      文化に多様性と法規範

  

    ②福祉国際社会
        福祉の法的性質の検討
         互恵説(E.H.カー)
           相互依存説(ブラント委員会)
            取引説(ローマクラブ)
            道義説(ベイツ)
          基本的ニーズ説(世銀)
          持続的発展説(ブルントラント)
          法的権利義務説(途上国)

 

     福祉国際社会の法的問題・福祉とは,単に貧しい国を援助

       することではなく,豊かな世界 になること.

 

   ③開発と環境
     WTO(世界貿易機関)による国際経済の発達と環境

   

     以上の研究に当たって心がけること.これからの学問は先端的

     になればなるほど,内容が総合的になること.法律だけでなく

     政治学,経済学, 社会学の総合的研究.
     今後の課題は山ほどある.

     学者は書くことによって成長する.
     また「最高傑作は次の作品」黒沢明

     研究は時代を反映する.例えば古い時代の問題や思想を研究す

     るにも,今という時代が反映 する.むしろ現代を良く知るこ

     とが過去を良く知ることになる.

 

 

2 研究よもやま話

 

 (1)職業としての先生

 

   皆さんもいずれ大学の先生になるでしょうが,注意すべきことは,長い
 間,先生なんかやっていると,人間が偏ってくることです.先日の新聞

 の読者欄に,こんな投稿がありました。投稿者が,散歩でよく学校の先

 生をっやっていた老夫婦に会うが,お早うございます,と挨拶しても,

 返事もしない,ということです.学生を指導するなどと考えていると,
   どっか傲慢で偏屈になるものです.

 

  私は25年間アジア経済研究所に勤め,その間二度の在外研究,さらに数
  多くの研究調査旅行や数度の政府ミッションで,50カ国以上の国々に行
  きました.その後明治学院大学国際学部さらに家の近くのこの国際基督

  教大学国際関係学科に勤めました.そして70歳で定年となったわけです.

  研究所と違い大学の先生とは,指導していると思っている内に,逆に教  
  わっている,ことに気づくことができました.
  研究所にせよ大学にせよ,研究することは真理を探究することだが,判
  らないことは判らないもので,常に良い解答が出るとは限らないのが研
  究だと思います..

 

   また研究とは,一つの大きな疑問を持つこと.それを解くのが楽し

   みでもある.疑問はいくらでもある.例えば,

 

   フランスのバカロレヤの試験
  「人間は死ぬことが分かっていても,なぜ生きてゆけるのか」

   なかなか解答のできない哲学的問題.

 

   またこんな問題もある.

  パリ大学の心理学の試験
    妻と母と三人で堤防の上を散歩していた時,突風が吹いて妻と母

      が海に投げ出された.そのときただ一人しか助けられないという

      とき,君はどちらを助けるか」

 

     学生の答案は二つに分かれた.

     妻とする者「母はもう十分に生きた.しかし妻は未だ若いし人生は

                       これからだ」
      母とする者「母は私を生んでくれたただ一人の人.これからの老後

                         を楽しませてあげたい.妻はまた見つければよい」

 

       ところがみんな落第.しかし,ただ一人だけ満点.
       その解答は 「そのときになってみなければ分からない」

 

      人生は必ずしも常に回答を要求しているわけではない.
      研究もしかりで,常によい結果が出るわけではない. 

 

       また,講義に関して言えば,「最良の講義とは,疑問の提示である」
       ハイゼンベルグ.
 

    しかし学生は,絶えず解答を要求する.

        そのせいか,教壇で語ることは,時に恐ろしいこと、質問攻めとな

   る。

 

      「講壇に立ちて語れば

      これほどのことさえ知らず 過ごしきし身は」
                                       土岐 善麿

         そんな気持ちにもなるものです.

 

(2) それぞれの先達

         私自身は良い先生ではないが,しかし良い先生には恵まれた.
         その良い先生とは,どのような状況にあっても,きちんと自己

         規律のできる人.そんな先生方との出会い.

 

       小田滋先生 恩師 ICJ裁判官
       人間関係を大事にする方.穏やかだが特攻隊の生き残り.
       着実に歩む,その姿に見習いたいと常々思ったこと.
       俺は弟子の面倒見が悪いと言われるが,と仰るが,かし,研究所

       にも心配して2,3度訪ねてくださったり,パリでもご夫婦で良

       く我が家にいらっしゃってくださった.思いやりと面倒見の良い

        先生.

 

       今西錦司先生 鮎の棲み分け理論.人類学の泰斗.二三度しかお

       会いしなかったが印象ぶかい先生.
       磊落にして緻密な先生.学会の後幾度かみんなで一緒に飲んだ

       ことがある先生.

 

       梅沢忠夫など大勢の優れたた弟子を持つ.
    「先生は,少しとろいぐらいで良い,鋭すぎると弟子がついてこ

       ない.弟子達は僕のような先生なら容易に超えられると思う,

      と集まってくる」

 

   それに弟子達と飲むのが大事だと言われた.
    「それは蜂の喧嘩だ・・・?.差しつ差されつ.」
      実に洒脱で楽しい先生でした.

      それに快活.人間,知性があり,しかも快活であるとはすばら

      しいこと.

 

      東畑精一. ウイットに富む経済学者.吉田茂のブレイン.
      研究所時代の先生..
      座談の名手.ある雑誌に,芸者が三人かかってもかなわない,と

      紹介されていた.

    名随筆「一巻の人」1960年.(岩波・非売本).先生に頂戴する.
    シュンペーターの研究家.その「経済分析の歴史」翻訳中の話.

 

  世の中はマルクス主義の時代なのに,シュンペーターの研究なん

  かで良いのかと迷った.ある時,岩波書店顧問の河野与一先生

      (東北大学から岩波に移った頃、希代の碩学.「学問の曲がり角」

   の著者)に相談.

      河野先生は黙って一冊の辞書(ギリシャ・ラテン引用語辞典・岩

  波書店)を開いて一つの項目を見せる.

   「homo unius libri・・・一巻の人.一つの書物のみに耽る人」

 

      東畑先生は,私はそんな人間かと思い,重い気持ちで家に帰る.
    そして同じ辞書をひもとくと,「cave ab homine unius libri・・」
    「一冊の書物の人に用心せよ」.だんだんと怖くなり,早くシュンペー

      ターの翻訳を終えて,一巻の人たることを終わりたいと思われた,と.

      しかし,この意味は先生の学問に対する謙虚な気持ち,と私には思え
    たが,一つの分野・課題に集中することの,大切なことを教えている,
    と思っている.

 

   都留重人先生.紳士にして鋭い弁舌の人.
      明学時代,戸塚駅で朝一緒にタクシーで,戸塚の明治学院大学の国際
  学部へ. 研究室に入られると,先生は給湯室の冷蔵庫からコップに

      氷を入れて,ニコニコしながら研究室へ.そして水割り一杯。それも

      懐かしい思い出.

    若いときは大変な酒豪.旧制大学の先生達との決戦.それは酒一升を
    決められた時間に飲む勝負.仙台で決勝戦.一升を飲んで次の日決め
    られた時間に集まる事になっているが,相手は家族に介抱されてぐっ
    すり眠って欠席.それで先生が優勝.

    教授会・・あれほど有名教授がそろった学部も珍しい.1時10分開始,
    普通6時,時に夜10時頃まで.

 

      悠々たえる論戦,激することなく理理整然たる論の進め方.大いに

      啓発される.

      ある時,荻須高則の絵を持参され教授談話室に飾られる.私もパリ

      で偶然画伯と一晩飲み,朝方,真っ赤なスポーツカーでホテルに送

  られた思い出がある.

    これまでの人生には,楽しく有益な沢山の先生や友人との出会いが

       あり.その人達のおかげで 今の自分が居る.人には多くの出会い

       があり,色々な人から,色々なことを教わりながら生きている.

 

    さらに,考えてみると人生の先達といえる人たちは,大学だけでなく

    街にもいる.酒の飲み方が上手な人達.酒を飲まない人は,人生を半

    分しか生きてない,と言う言葉もある.杜甫の詩にも「一酌,千愁を

    散ず」とある.まさに,酒は愁いの玉箒である.

 

    中央線の品のいい酒場.元ある省の局長.全国を回って美酒と佳品・
  肴を集めた店.畳の上に和服で端然と座って,こちらは御膳に向かう.

    幾度か会っているうちに,杯の持ち方,酒の受け方など酒の飲み方を

    指導された.

 

    子供の頃父親や叔父達が和服で端然と座って酒を飲んでいた
  姿を思いだしました.亭主が教えたのは武家の飲み方なのだそうです.

    至る所に人生の先達はいる.たかが酒と言ってはいけない,酒を通し

    てその人の人格がわかるものです.

    神楽坂の酒屋.墨田区の女将さんのやっていた江戸時代からの酒屋.
  新宿の多くの作家が集まっていた飲み屋.大久保の飲み屋での井伏鱒
  二先生との出会い.人生至る所に先達はいる.良い飲み屋は人を鍛え
  る.もうそんな飲み屋もなくなってしまいました.


 (3)研究と教育と

 

     若い人への言葉「若い日にバラを摘め」.
 

    バラは美しいが棘が有る,しかし痛みを伴わなければ美しいバラは

    摘めない.ある高名な免疫学者・・研究にはバラの香りがしなけれ

    ばならない,と。

          「バラの花の香りのする研究を」 多田富雄.免疫学者
 

    また研究にも,ユーモアとゆとりがほしいが,これは難しい.
    ある数学の微分の先生,論文に「微分のことは微分でせよ」とユー

    モラスに書いたら,沢山の人から非難された.論文でふざけてはい

    けない,と.しかしそんな遊びがあっても良いと思いますがね.

 

    丸谷才一「遊びなのか学問なのか,当人もよく分からないのが,本

    当の学問」なのでしょうね。

 

    また学問と教育について,
     広中平祐・研究と教育の両立は可能かと問われて,
   「両立させなければいけません.というのは何かを学ぶのに一番良い
    方法は,それを教えることなんです」

 
   そして先生を選ぶなら,
   モンテーニュ,
  「教師を選ぶときは一杯詰まった頭よりも,しっかりした頭の人を選

     ぶように.その両方とも必要だが,どちらかというと,知識よりも

     人格と判断力のある方を選ぶこと」

 

    しかし問題は,学生は教師を選べるが,われわれ教師は必ずしも学

    生を選べない,ことです.

 

     またプロの先生は,一人五役
 「学者.医者.役者.易者.芸者」

     学者・・十分な専門知識を持って,学問を追究する姿勢を教える.
     医者・・分からないところを早期発見.早期治療.早期回復.
                同時に「勉強したくない病人」を治療する.
     役者・・教壇での講義を新鮮に演出し,観客という学生を引きつけ

                 て飽きさせない.
     易者・・学生達の将来性や進むべき道について適切にアドヴァイス

                  する.
     芸者・・芸者とは学生達に楽しい学生時代を過ごさせるためのエン

                  タテーナー.(昔は武芸者のことを芸者と言った)

 

        このように先生とは実に難しい職業だと思う.

 

(4)定年後の楽しみ・これからの人生・趣味

 

  ①絶学無憂
   いつの間にか研究生活40年,大学院時代を含めると約50年,研

       究所や大学に長いこと勤続し,まさに勤続疲労.ここらでちょっ

   と一休み.

     学問から離れると言うこと.老子の言葉「絶学無憂」.

       学を絶たば,憂いなからん,と言う意味.
     これには井伏 鱒二の名訳あり「大学やめたら呑気になるぞ」.
       さすが漢詩を闊達に訳した人です.呑気になりたいものです.

       良き先達を見ていると,年をとっても,その人の感性は変わ

       らない,と思う.そうなりたいもの.

   「すくすくと育った年寄りとはあまりおらんもんじゃな」

                   十時半睡.
       まさに,すくすく育った年寄りになりたいものです.

 

   ②読書

      読書の楽しみ.
      しかし世界中の小説はもう読んだ.今は自在の心をもった人物

      に興味.これは欧米の文学にはない人物像.

 

     三屋清左衛門. 「三屋清左衛門残日録」藤沢周平.
  「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」

 

     まだ,日は十分にある,人生まだまだ焦ることはない,これは

     今の私の心境でもある.

     昔,義理の兄が藤沢氏を紹介すると.しかし時代作家と思って

     いた.大変な間違いでした.この人は人間を鋭くまた暖かく見

     ている人だと思います.

     池波正太郎の 「剣客商売」の 秋山小兵衛.白石一郎の十時半

     睡など.
 

     これらの老人は闊達な人生の達人.

   昔の狂歌,「くどくなる,気短になる,愚痴になる,

                                            心はひがむ,身は古うなる」
    そんな老人にはなりたくないものです.

 

 ③趣味・・古本屋・ 俳句・カメラ

   かっての趣味・古本屋歩き.本探し. 神田,中央線沿線.
   もうあまり行かない.かねて探していた本との出会いは楽しい.
   先日,偶然,上田辰之助「蜂の寓話・自由主義経済の根底にあ

     るもの」を中央線の古本屋で発見,安く購入.かって神田で1

     万円したもの.これは,18世紀.オランダ系イギリス人の医者・

     文人であるバーナード・マンドヴィールの悪徳と公共の利得の

     ことを書いている.長らく捜していた本と出会うのは偶然の出

     会いの楽しみがある.

 

     短歌・・40年も昔,幾度か続けて朝日歌壇に入選,その後落選

                  したらと逡巡,そんならと投稿をやめる.
          短歌は気力と体力がいる.

        今の趣味はその短歌と俳句とカメラ.

 

     俳句・・なかなか傑作はできない .
    「古池や 蛙とびこむ 水の音 」 芭蕉
    未だにこれを超える俳句はないとされるが,江戸後期の傑作

  とされるのは,

     「古池や その後飛び込む 蛙なし」
       この洒落が面白い.

 

      飯田蛇忽・・俳句がうまくなる人の条件として.
                       あまり頭がよくないこと.
                       あまり健康でないこと.
                       あまり金持ちでないこと.

    この条件にぴったりだけど,私にはそこそこの俳句しか作れない.
  せめて俳句の良き鑑賞家になりたい.その解釈についての学生時

      代の誤解

 

  「月天心貧しき町を通りけり」蕪村

     この句を月が天心にかかって貧しい街にかかっていると思ったが,

     夜道を急ぐ旅人の見た月のこととか.

 

 「梅一輪一輪ほどの暖かさ」服部嵐雪
   毎日毎日一輪一輪と咲いて暖かくなると思ったが,実はたった
     一輪 咲いたその暖かさのこと.

      俳句は名解説者があってまた年をとり経験を積んで初めて分か
    る事がある.

    学問も同じですね.論文を良く理解してくれる人が必要ですし,

      また論文は時代をえぐり同時にを超えた価値を持つことが必要.

 

 カメラ
   人間をとるのは苦手.風景特に風の流れを描こうと思う.
   カメラを持って散歩・ 良く歩く人は良く読む人.歩くことによ

      って「人の健脚家」となる.
 

   読むというのは本だけでなく,カメラで自然や人生を読む.
   そのうち俳句とカメラの本を出したい.論文はその後となりそう.

     さて,定年.心理学者が言うことですが,人には定年前症候群とい

     うのがあって,定年前はいらいらしたり,怒りっぽくなったり,集

     中力がなくなるそうですが,まさにしかり,汗顔の至り.これは注

     意すべきことだとおもいます.

 

     私は定年とは,人生のある区切りであり,また再出発であると思う.

     すなわち定年とは一つの成長だと思っている.なにせ「脱皮しない

     蛇は死ぬ」ということで,定年で人間も脱皮して成長するものと思

     っています.
     そして年をとっても夢は捨てないことが大事.

 

      戦争直後の中学二年生の時買った1899年ニューヨーク発行の

      ワーズワスの詩集の一節.

 

     my heart leaps up, when I behold the rainbow in the sky.

 

    私は人生で二度虹をつかんだ.4歳の頃八戸の公園でまた中学生の頃
    仙台で丘の上の松の根元から虹が立ち、崖をよじ登って手で触れたこ

    と.夢のような話だが事実です.私は一生虹を追い求め,またいつか

    虹をつかむと思っている.ちょっと照れくさくもある話ですが.

   

    そして,人は時間の中を旅しているもので,私もゆったりと「時の中
    を旅したい」と思っている.

    また「定年には年齢はあるが,年齢には定年はない」と思ってます.
    まだまだ時の中の旅は続きます.

 

   私の書斎から,ICUキャンパスの西端に聳える大きな鈴掛の木が見えま
   す。30年前,その家に移ってきた頃は,鈴掛は今の半分ぐらいの大きさ
 で,夏にはその梢の上に多摩川の花火が見えました.しかし今は亭々と聳
 えて花火も見えなくなりました.しかし鈴掛が大きくなるにつれてICU
 も共に成長してきました.それゆえ朝夕見ている鈴掛が,幾多の風雪に耐
 えながら,さらにその梢をのばす姿を,四季折々,心楽しみに見ていきた
 いと思つております 

 

   これからせっせとICUの図書館に通おうと思ってます.なにせほかの先生
 方の図書購入費までたっぷり使って本を買いました.図書館では名前は伏

 せていましたが,あまり一人の先生が集中的に本を買わないでくださいと,

 文書を回しておりました.それは私です.そんなわけで,まだ読んでない

 本がたくさんありますので,楽しみに通います.

   

          では,またお会いしましょう.
      ご静聴を感謝します.